三朝北盟會編靖康中帙 諸録雑記(京師陥落と金銀根括の詳細)

「夏少曽朝野僉言」にみる忠臣と佞臣の対比

  • 靖康の禍を目撃した著者は、李若水・宗沢・張叔夜・呉革・蔣宣・李福ら節義を全うした者を顕彰し、後世への教訓として記す。真定府の陥落は安撫使李邈の統率不足によるものとし、朝廷の対金政策が終始「割地講和」に傾き、何㮚・孫傅らが強硬論を唱えても押し切られた経緯を批判する。
  • 廃立協議の場で王時雍が真っ先に張邦昌推戴の署名を行い、蜀出身で「売国の牙郎(仲買人)」と揶揄された経緯、開封尹徐秉哲が金の圧力に屈して宗室を売り渡した実態、内侍らが宮中の財宝の在り処を密告した経緯などが列挙される。守城の将士が数名の金兵の突入だけで総崩れになったことを、唐の徳宗が奉天を死守した故事と対比し、「士風の退廃」を痛烈に批判する。
  • 邦昌政権下でも旧臣たちが立場を保身するために右往左往した様が記される。

金銀根括の実態(囲城下の徴発)

  • 城陥落後、金は絹一千万疋・金百万鋌・銀千万鋌を要求し、開封府は戚里・豪富の家から根こそぎ徴発した。王時雍・徐秉哲が四壁に分かれて捜索を指揮し、隠匿者には軍法(処刑)をもって臨んだ。婦女の拘束や住居の家探しにまで及び、内侍の隠匿も摘発された。
  • 二月の時点で目標額の百分の一程度しか集まらず、根括はさらに苛烈化し、梅執禮ら四人が処断されるに至った経緯が改めて記される。
  • 金は最終的に宮中の珍宝・器物・書画・典籍にいたるまで悉く接収し、著者は「珍珠四百二十三斤、玉六百二十三斤」等、膨大な品目・数量を列挙して、二百年にわたる宋朝の蓄積が尽く失われたことを慨嘆する。