三朝北盟會編靖康中帙 靖康元年 1126年

九日 呂好問の連珠寨策と清野の詔

  • 兵部尚書呂好問は、尉氏・咸平・陳留・東明の兵を集めて連珠状に寨を連ね京師を守る策を上奏し、宿将の起用と防河の兵の疲弊対策も求めたが、宰執はこれを容れなかった。
  • 梅執禮の建議により、河北・河東・京畿一帯に「清野」(住民・物資を城内に収め敵の糧道を絶つ)の詔が下された。詔は金への譲歩の限りを尽くしても敵意が止まぬことを嘆き、清野・城邑保守に功のある者への厚賞を約した。

十日 邢倞の除名

  • 新知鼎州邢倞が除名・勒停された。金使応対の際に趙輪の言を奏上して朝廷を誤らせたことが咎められた。

十二日 河陽陥落、折彦質軍潰走

  • 尼堪が河陽に至り、折彦質・李回の軍と黄河を挟んで対峙。金は虚勢を張って夜通し太鼓を打ち鳴らし、隙をみて尼楚赫貝勒の別働隊を渡河させ、折彦質軍の背後に布陣させた。これに驚いた折彦質軍は総崩れとなり、李回も京師へ敗走した。

十三日 馮澥・李若水、三鎮割譲の国書を携え金軍へ

  • 知枢密院馮澥・徽猷閣学士李若水が告和使副として、王雲・馬識遠とともに三鎮割譲の国書を金軍に届けた。国書は正月の誓書どおり三鎮を割く旨を確約し、両軍の撤退を求める内容。
  • 「河東逢敵記」「奉使録」には道中の様子が記される。李若水は金の舘伴使蕭慶・劉思に「割地の使者として来た」と説明し、国相との対面では丁重な礼を交わしつつ「王雲の到着を待って地界を交割する」との確約を得た。しかし途中で宣撫使李綱が発した追撃命令の牒が金側に伝わり、国相は激怒して和議を疑い、若水らを軍中に留め置いたまま南下させた。
  • そのほか、都水監が黄河の水を牟駝岡に決壊させたこと、王機・和詵・薛嗣昌・詹度らが失策の責を問われ除名・編管となったこと、福建・浙江の軍民に勤王の兵を募る哀痛の詔が下されたことも記される。

十四日 京畿の民、城内に避難

  • 京畿一帯の住民が城内に入った。

十五日 房銭免除の詔、黄河渡河と浮橋崩落の惨事

  • 金の圧迫を受け、民の負担を軽くするため公私の家賃(房銭)が免除された。
  • 唐恪・何㮚らは「大河の険は守られる」としていたが、尼堪軍は河陽から黄河を渡った。渡河した兵・馬牌を得た者への破格の恩賞も布告された。
  • 「河東逢敵記」は、河陽の浮橋が完成を急いだために不備があり、避難民が殺到して橋が崩壊、多数が河中の泥沙に沈んで溺死する惨状を伝える。橋を焼いた後も金騎兵が迫り、宣撫司の官員・軍民の多くが取り残され、金銀財貨も遺棄されたという。折彦質・河南知事燕瑛は馬を求めて京師方面へ逃れた。

十六日 康王、告和使として斡里雅布軍前へ

  • 康王(のちの高宗)が告和使に任じられ、資政殿学士王雲を副として斡里雅布の陣へ赴いた。人選の経緯は「宣和録」に詳しく、当初は李若水・王雲のみを遣わす案もあったが、耿南仲の奏請により康王の派遣が定まった。康王は出発前夜、随員の耿延禧・高世則に「深く敵陣に入れば帰還は期し難い、家族に別れを告げよ」と述べたという。
  • この日、金軍は汜水県に迫り、京西の許元・許高らは戦わず潰走。京師では清野のため梅執禮が清野使となり、住民が動揺した。

十七日 汜水陥落、会聖宮焼失、折彦質の処分

  • 金軍が汜水県に到り会聖宮を焼いた。折彦質は河防失陥の責で海州団練副使に落とされ永州安置となった。李回も河上から単騎で京師へ逃げ帰った。「靖康小録」はこれを痛烈に批判する。
  • 京師では防備の議論が紛糾し、堅壁清野して敵の糧道を絶つ策や、康王を元帥に立てて勤王軍を集める策などが論じられたが、決断できぬまま金軍が迫った。
  • 尼堪は楊天吉・王芮・察勒瑪ら十三人を遣わし、黄河を国境とすること等を求める国書を届けた。国書は「宋がたびたび盟約を違えたため黄河を境とする他ない」とし、投降した州県の民は撫恤する旨も述べた。
  • 朝廷は三鎮放棄に猶豫していたが、金の渡河の報を受けてついに割地を決断。耿南仲を斡里雅布への、聶昌を尼堪への告和使とすることとした。金使楊天吉・王芮は蔡京・童貫・王黼・呉敏・李綱ら九家の家族の引き渡しを求め、朝廷はこれに応じて絹十万疋なども差し出したという。

十八日 康王、濬州にて渡河

  • 康王一行は厳寒の中、氷の張る黄河を渡り濬州に至った。
  • 尼堪は既に西京(洛陽)を陥としていた。永安の諸陵を巡覧させたが、真宗・仁宗陵は拝礼したものの、裕陵・熙陵には焼却の意を示すなど不遜な態度をとった一方、諸兵に陵廟の掠奪は禁じた。また文潞公・司馬温公らの子孫の行方を捜し、潞公の子維申の遺児を厚遇したという逸話も記される。
  • 「范仲熊北紀」には、西京留守となった旧知澤州の高世由をめぐるやりとりが記される。范仲熊は高世由に義士召募への協力を促す書を送ったが、これが金側に知られて尼堪の怒りを招き、高世由は窮地に陥ったという。