晁某の上書「三鎮は棄てるべからず」
- 二月十五日辛亥、山邑に住む老臣(晁氏、一門七代仕官の家系)が万里を隔てて上書し、三鎮(太原・中山・河間)割譲への反対を訴えた。かつて元符末に上書して辺境に流された経験を踏まえつつ、今回の危機に際し老骨に鞭打って諫言に及んだと述べる。
- 大赦の詔にある「新辺」の語について、当初は易州・涿州程度と誤解されたが、実際には河間府・中山府・太原府の三大鎮、二十州五十六県が金への割譲対象であると知り、「地は棄てられても民は棄てられない、祖宗艱難の業は棄てられない」と痛憤した。
- 賈誼が文帝に匈奴への軟弱姿勢を諫めた故事を引き、当時は陳平・周勃ら賢臣が揃っていたと指摘し、今日も人材はあるはずだと説く。
河北の戦略的重要性
- 「河北を得る者は天下を得、河北を失う者は天下を失う」との命題を掲げ、秦漢晋隋唐から五代十国に至るまで、河北の得失が興亡を決定づけた史例を列挙する。
三鎮それぞれの重要性
- 周世宗の親征と益津関・瓦橋関の奪還、太祖の武功による三関確保の経緯を述べ、三関を安易に手放すことの危険を説く。石晋末の高陽の敗戦が澶淵の役を招いた例も引く。
- 中山府(唐の義武軍)は堅城・精兵の地であり、黄巣の乱でも勤王した忠節の地であるとし、咸平年間の傅潜の消極策(十万の兵を擁しながら出撃せず)を批判しつつも、真宗の親征により契丹を退けた顛末を讃える。
- 太原府については、劉氏北漢を太祖・太宗二代でようやく平定した経緯、太宗が張暉・張永徳・薛居正らに諮問した逸話、曹彬の献策により親征で陥落させ、以後二百年近く保持してきた重みを説く。
兵制と当今の急務
- 唐の河北喪失後も朝廷が大河の要地・太原を保持し続けたことで国が保たれた例を挙げ、太原まで併せて棄てることは前例のない愚策であると断ずる。
- 京師(汴州)の兵制が秦漢由来の重みを持つことに触れ、王安石の改革以降、童貫の専横で軍制が崩壊したことを憂える。
為政の方策
- 隋・唐が突厥の力を借りて天下を得た故事、郭子儀が回紇・南蛮・大食の兵で唐を再興した故事を挙げ、土地を安易に人に与えるべきでないと説く。
- 杜牧・皇甫規・程苞らの「自治」論を引き、威信をもって辺境を治めることの重要性を説く。
- 漢の路温舒が孝文帝の徳治を称えた故事に倣い、仁宗朝の范仲淹・文彦博・韓琦・呂誨・司馬光ら賢臣輩出の実績を範とすべきと述べ、開辺・専利・急刑・禁言を戒め、明君・賢相・良将が揃えば金の侵略も憂うるに足りないと結論する。