范元琰(伯珪)
- 范元琰は字を伯珪といい、呉郡銭唐の人。祖父の范悦之は太学博士に召されたが赴かず、父の范霊瑜は父の喪に服したまま没した。元琰は幼い頃からこの孝を偲び礼を尽くし、親戚に感心された。
- 成長すると博学で経史に通じ、仏義にも精通したが、謙虚で自らの長所を誇ることなく、家が貧しく専ら園の野菜を業とした。かつて外出中に人が野菜を盗むのを見つけ、元琰は急ぎ引き返した。母がその理由を尋ねると、盗人が恥じ入らぬよう名を伏せたいと答え、母子でこれを秘した。また溝を渡って筍を盗む者があると、元琰は木で橋を架けて渡らせ、盗人は大いに恥じ、以後郷里から盗みが絶えたという。
- 常に人前に出ず、独り座す姿は厳しい賓客に対するようであり、見る者は皆姿勢を正した。沛国の劉瓛はその人物を高く評価し表彰した。齊の建武2年(495年)安北参軍事に召されたが赴かなかった。天監9年(510年)県令の管慧辨がその義行を上申し、揚州刺史の臨川王宏が招いたが至らず、天監10年(511年)王が改めて表を上げて推薦したが、応じないまま元琰はその年、70歳で家で没した。