梁書卷五十一 列傳第四十五 劉訏
劉訏(彦度)
- 劉訏は字を彦度といい、平原の人。父の劉霊真は齊の武昌太守。訏は幼くして純孝で知られ、幼くして父母を相次いで失うと哀慕のあまり命を落としかけ、弔問に訪れた者を悲しませたという。
- 伯父に養われ、伯母や従兄姉にも孝友をもって仕え、族人に称えられた。早くに孤児となったことを深く悲しみ、自分の忌み事に触れる者があれば涙を流して感じ入ったという。長兄の劉絜が妻を娶らせようとして日取りを決めると、訏はこれを聞いて逃げ隠れ、話が立ち消えてから戻った。
- 本州の刺史・張稷が主簿に招いたが応じず、召状を木に掛けたまま逃げた。訏は玄言に巧みで釈典に精通し、族兄の劉歊とともに鍾山の諸寺で講義を聴き、宋熙寺の東の谷に共に庵を構え、隠棲の志を持った。
- 天監17年(518年)歊の家で31歳で没した。臨終に際し歊の手を取り「息が絶えたらすぐに納棺し、霊筵を設けず祭祀もせず、跡継ぎも求めるな」と遺言し、歊はその通りにした。宗族や親友が石に刻んで銘を立て「玄貞処士」と諡した。