梁書卷四十九 列傳第四十三 丘遲
丘遲(字希範、吳興烏程の人)。父の丘靈鞠は斉の太中大夫で才名があった。梁の高祖践阼後は散騎侍郎から中書侍郎を歴任し、「連珠」を著して文才を称えられた。臨川王蕭宏の北伐に従軍した際、魏に降っていた陳伯之へ送った書(「与陳伯之書」)で降伏を説得したことで知られる。天監七年、官のまま没した。享年45。
年表(1件)
- 天監七年官のまま没する。享年45
丘遲
- 字は希範、吳興烏程の人。父の靈鞠は才名があり齊の太中大夫。遲は8歳で文を能くし、父から「気骨は我に似る」と評され、謝超宗・何㸃にも見出された。州から秀才に挙げられ太学博士から大司馬行參軍を歴任、父の喪で去職し服闋後は西中郎參軍・殿中郎・車騎録事參軍を歴任。
- 高祖が京邑を平定すると驃騎主簿に召され、梁王への勧進や殊礼の文章はみな遲の手によるものであった。高祖践阼後は散騎侍郎から中書侍郎に昇り、天監中「連珠」を著した際には数十人の群臣の作の中で遲の文が最も美しいとされた。
- 永嘉太守として職務不振を糾弾されたが高祖はその才を惜しんで奏を差し置いた。臨川王宏の北伐では諮議參軍兼記室として従軍し、魏に降っていた陳伯之に書を送って降伏を説得し成功させた(「与陳伯之書」)。中書郎・司徒從事中郎を経て天監七年、官のまま没した。享年四十五。詩賦は世に行われた。