梁書卷四十九 列傳第四十三 劉苞

劉苞

  • 字は孝甞、彭城の人。祖父の勔は宋の司空、父の愃は齊の太子中庶子。4歳で父を亡くし6・7歳の頃、諸伯叔父の姿に父を思い出して泣いていたのを叱られると「父の顔を知らぬゆえ、諸父の面影に父を重ねて悲しんでいるだけだ」と答え、母も慟哭した。
  • 両親と兄二人の遺骸は仮埋葬されていたが、苞は16歳で墓所に赴き諸父の助けを借りず自ら改葬を営んだ。学問を好み、司徒法曹行參軍を辞退したのち、天監初年に臨川王妃の弟の縁で征虜主簿となり、尚書庫部侍郎・丹陽尹丞・太子太傅丞・尚書殿中侍郎・南徐州治中を歴任、公事で免ぜられた後は太子洗馬・掌書記として壽光殿で侍講した。
  • 高祖即位後、従兄の孝綽、従弟の孺、同郡の到溉・洽兄弟、陸倕、張率らとともに文藻を見込まれ宴に多く預かった。天監十年、官のまま没した。享年三十。臨終には友人劉之遴に喪事を倹約に済ませるよう託した。人柄は温和にして正直、面と向かって非を指摘しつつ美点は退いて称える度量があり、士友に惜しまれた。