梁書卷四十八 列傳第四十二 皇偘
皇偘
- 吳郡の人、青州刺史皇象の九世孫。学を好み賀瑒に師事しその学業をことごとく修め、三礼・孝経・論語に精通した。国子助教として『礼記講疏』五十巻を撰し朝廷に上って秘閣に収められた。壽光殿に召され礼記義を講じ高祖に称賛され、員外散騎侍郞兼助教となった。
- 至孝な性格で毎日孝経を二十遍誦すことを日課とし、観世音経を誦す習慣になぞらえたという。母の喪で解職し帰郷、平西邵陵王がその学を慕って厚礼で迎えたが、着任後に心疾を患い大同十一年、夏首で没した。享年五十八。『論語義』十巻を撰し礼記義とともに世に重んじられた。
史論
- 陳の吏部尚書姚察は言う。かつて叔孫通は戦場の陣中で礼を講じ、桓栄は動乱を精魂かけて生き延び平定後に光栄を得た。伏曼容・何佟之・范縝は齊の末世にあってなお道を講じ時勢に阿らず、賀瑒・嚴植之らは梁の儒教崇重の世に遭い高官に至った。彼らはそれぞれ稽古の力を尽くした者たちである。ただ范縝だけは墨絰のまま僥倖を求め、その志を遂げられなかったのも当然のことであろう。