梁書卷四十八 列傳第四十二 孔子祛
孔子袪
- 會稽山陰の人。貧しく若くして父を亡くし耕作や樵採の合間にも書を離さず学に励み、経術に通じ特に古文尚書に明るかった。長沙嗣王侍郞兼国子助教として尚書を四十遍講じ、聴講者は常に数百人。中書舎人賀琛が『梁官』を撰する際には西省学士として補佐、書成後に司文侍郞を辞退したが後に主客郎舎人学士を兼ねた。
- 湘東王國侍郞・常侍・員外散騎侍郞・雲麾廬江公記室參軍を経て中書通事舎人・步兵校尉舎人を歴任。高祖の五経講疏や『孔子正言』の編纂にあたり羣書を検閲し義証を作る役を専任し、朱异・賀琛とともに士林館で経を講じた。中大同元年、官のまま没した。享年五十一。『尚書義』二十巻・『集注尚書』三十巻(何承天の説を継ぐ)・『集注周易』百巻(朱异の説を継ぐ)・『礼論』百五十巻を著した。