梁書卷四十八 列傳第四十二 沈峻

沈峻

  • 字は士嵩、吳興武康の人。代々農家であったが、峻は学を好み舅の太史叔明とともに宗人の沈麟士に師事し、昼夜怠らず眠気を覚ますため杖で自らを打って学に励んだ。麟士の没後、京師に出て諸講肆を巡り五経特に三礼に長じた。
  • 王國中尉・侍郞を経て国子助教を兼ねた頃、吏部郎陸倕が僕射徐勉に「五経博士の欠員には周官(周礼)を教授できる人材が要る、北人の孫詳・蔣顯も講じたが訛音のため学徒が集まらない、助教沈峻だけがこの学に精通し聴講者が屈服せぬ者はない、この学統を絶やさぬためこの人を用いるべき」と薦めた書を送り、勉はこれに従い峻を兼五経博士とした。館での聴講者は常に数百人。
  • 華容令から員外散騎侍郞・五経博士に復し、中書舎人賀琛が『梁官』を撰する際には孔子袪とともに西省学士として補佐し、書成後は中書通事舎人を兼ね、武康令として官のまま没した。子の文阿は父の学、特に『左氏傳』を継ぎ太清中に国子助教から五経博士となった。峻の学を継いだ者には吳郡の張及・會稽の孔子雲もあり、いずれも五経博士・尚書祠部郎に至った。
  • なお峻の舅・太史叔明は吳興烏程の人、呉の太史慈の後裔。老莊に長じ孝経・礼記も治め、特に三玄の解釈は当代随一とされ聴講者は常に五百人余に及んだ。国子助教から邵陵王綸に重用され各地に随行して講義を続け、大同十三年に没した。享年七十三。