梁書卷四十七 列傳第四十一 韓懐眀
韓懐眀
- 上黨の人、荊州に寓居した。10歳のとき母が屍疰の病にかかり発作のたび危篤となったため、夜な夜な星に額づいて祈ると、寒中に香気とともに「まもなく治る、案ずるな」との声を聞き、母は本当に治癒した。15歳で父を喪い哀毀甚だしく、土を負って墳を築き贈り物も受けなかった。
- 郷人の郭黁とともに南陽の劉虬に師事したが、虬が講義を休み涙する日、それが虬の外祖父の忌日で虬の母もすでに亡いと知り、懐眀は即日学を辞して帰郷し母に仕えた。虬は「韓生には虞丘子(母に先立たれた悔いを残した人物)のような後悔はあるまい」と嘆じた。
- 母は91歳で天寿を全うし、懐眀は水漿を断って十日号泣し、廬に双白鳩が巣を作り家禽のように馴れ懐いたという。喪が明けても生涯菜食を通し、衣も改めなかった。天監初年、刺史始興王憺がその行状を上奏したが、州の招請にも応じず家で没した。