梁書卷四十七 列傳第四十一 劉曇浄

劉曇浄

  • 字は元光、彭城莒の人。祖父の元真は淮南太守として罪を得たが、父の慧鏡が朝士を巡り哀願して孝で知られた。曇浄も父の風を受け継ぎ、安成王国左常侍を初任とした。父が任地で没すると奔喪し断食を重ね、哭くたびに嘔血、喪明け後も哀毀で病を得た。
  • 詔で士姓ごとに四科の推挙が行われた際、叔父の慧斐が孝行科に推挙し、高祖は海寧令に任じたが、曇浄は兄が未だ県令になっていないことを理由に譲り、自らは安西行參軍となった。
  • 父の死後は母に厚く仕え、粥の煮炊きも人に任せなかった。母の病には帯も解かず看病し、没すると水漿を断って十日近く、喪は薬王寺に仮に瘞め、寒中に単衣で廬に籠り昼夜哭泣した。喪の明けぬうちに没した。