梁書卷四十七 列傳第四十一 吉翂
吉翂
- 字は彦霄、馮翊蓮勺の人(世は襄陽に居住)。11歳で生母を喪い水も断つほど哀毀した。天監初年、父が吳興原鄉令のとき姦吏に誣告され廷尉に逮捕されると、翂は15歳にして街頭で泣訴し行人を感涙させた。父は潔白を恥じ自ら罪を認め死刑に処せられんとしたため、翂は登聞鼓を打ち身代わりを乞うた。
- 高祖はこれを異とし、廷尉の蔡法度に「幼童が自ら考えたことではあるまい、厳しく問い糺せ」と命じた。法度は刑具を並べて威圧し、教唆者を白状せよと迫ったが、翂は「弟たちは幼く自分が長子だからこそ父の極刑を見過ごせぬのだ、教唆などない」と毅然と答えた。減刑の申し出も「代死の罪人に軽減は不要」と拒み、械を外させなかった。
- 法度の奏聞により高祖は父を赦した。丹陽尹王志が純孝の選に推挙しようとしたが、翂は「父の恥を子が死をもって贖うのは当然の道、これを名声のために利用するのは恥である」と固辞。のちに本州主簿・万年県摂官などを歴任し治績を挙げたが、父の陥罪を機に病を得て、のちに発病して没した。