梁書卷四十一 列𫝊第三十五 蕭幾

経歴

  • 蕭幾、字は徳元。斉の曲江公遥欣の子。十歳で文を作ることができたが早くに父を失い、九人の弟がいた。幾は篤い親愛を朝野に聞こえるほど見せ、性格は温和で人と争わず、清貧に甘んじながらも学を好み、草書・隷書にも優れた。
  • 湘州刺史楊公則は曲江公のかつての属吏であったため、幾を見るたびに人に「康公(遥欣)のこの子は、まことに桓玄・霊宝(桓玄の幼名)のようだ」と語った。公則が卒すると幾はその誄文を作った。享年十五であった。
  • 沈約はこれを見て奇才と評し、その舅の蔡撙に「昨日、賢甥の楊平南(楊公則)誄の文を見たが、謝希逸(謝荘)の作にも劣らない。康公(遥欣)が積んだ善行の慶びが、ここに証されたようだ」と語った。
  • 著作佐郎から起家し、廬陵王文学・尚書殿中郎・太子舎人を兼ね管記を掌り、庶子・中書侍郎・尚書左丞に遷った。晩年は仏教を専ら尊び、新安太守として山水に恵まれた郡の風景を愛でながら任地の記を著し、在官のまま卒した。子の為、字は元専もまた文才があり、太子舎人・永康令に至った。

史論

  • 史臣は次のように述べる。王規の一門はみな名声を得て、時運に恵まれて才能を発揮した。蕭洽は当塗堰の碑文に優れた文才を示し、劉孝儀兄弟はともに文章によって世に知られた。君子は梁の代に人材が輩出したことをここに知るであろう。