梁書卷四十一 列𫝊第三十五 褚球

経歴

  • 褚球、字は仲宝。河南陽翟の人。高祖の叔度は宋の征虜将軍・雍州刺史、祖の曖は太宰外兵参軍、父の繢は太子舎人で、いずれも宋の公主を娶っていた。
  • 球は幼くして父を失い貧しかったが、志高く学を好んだ。宋の建平王景素は元徽年間に誅滅され一族はほとんど滅んだが一女のみ生き残った。その故吏の何昌宇・王思遠は球の清廉さを聞き、この女を娶らせて名声を高めた。
  • 斉に仕えて征虜行参軍から起家し、まもなく法曹に任じられ、右軍曲江公主簿に遷り、溧陽令として出て、県で清廉に徹し公俸のみで生活した。平西主簿を除せられ、天監初、太子洗馬・散騎侍郎・兼中書通事舎人に遷り、建康令として出た。母の喪に去職し、本官のまま起用されようとしたが固辞して拝命せず、喪明け後に北中郎諮議参軍を除せられ、まもなく中書郎に遷り、また中書通事舎人を兼ねた。
  • 雲騎将軍を除せられ、廷尉・光禄卿を兼ね舎人はもとのままとし、御史中丞に遷った。球は性格が公正で屈することなく、憲司(御史台)にあってその職務を高く評価された。
  • 普通四年(523年)北中郎長史・南蘭陵太守として出て、通直散騎常侍に入って羽林監を領し、七年(526年)太府卿に遷り、まもなく都官尚書に遷った。
  • 中大同中(546〜547年)仁威臨川王長史・江夏太守として出ることになったが病により赴任せず、光禄大夫に改授されたが拝命前にふたたび太府卿となり歩兵校尉を領した。まもなく通直散騎常侍・秘書監・領著作に遷り、司徒左長史に遷り常侍・著作はもとのままとした。魏の孫礼・晋の荀組以来、台佐で貂(侍中・常侍の冠飾)を加えられた者は球が久しぶりであった。
  • のち貞威将軍・軽車河東王長史・南蘭陵太守として出て、散騎常侍に入って歩兵校尉を領し、まもなく致仕を上表したが詔により許されず、ふたたび光禄大夫を拝し給事中を加えられ、在官のまま卒した。享年七十。