兩晉演義第七十三回 拓跋珪は後魏を創興し、慕容垂は丁零を討滅する (拓跋珪創興後魏 慕容垂討滅丁零)

苻登の休戦と拓跋珪の登場

  • 姚萇は大界営攻略後も深追いせず引き上げ、苻登は妻子を失った悲嘆から一時休戦となる。当時の中国は秦(前秦・後秦・西秦)・燕(後燕・西燕)・後涼など群雄割拠の状態であったが、その中で最も長く続く勢力として拓跋珪の魏(北魏)が興る経緯が語られる。

拓跋珪の脱出と自立

  • 代王什翼犍の孫・拓跋珪は母賀氏と共に劉庫仁の庇護を受けていたが、庫仁死後に実権を握った劉顯に命を狙われる。母賀氏は機転を利かせて顯を酒宴で油断させ、珪を密かに脱出させる。
  • 珪は舅の賀訥を頼り、賀蘭部の支持を得て諸部の推戴により牛川で代王を称し(登国と改元)、後に盛楽に遷都して国号を魏、自ら魏王と称する。

内乱の平定と燕の後ろ盾

  • 劉顯は什翼犍の遺児窟咄を擁立して珪に対抗させ、珪配下にも内応者が出るが、珪は反乱分子を粛清し、燕の慕容垂に救援を求める。燕軍の助力で窟咄を撃破し、劉衛辰に討たれた窟咄の残党を吸収する。燕から西単于・上谷王に封じられるが珪は辞退し独立志向を示す。
  • その後、燕・魏連合で劉顯を撃破。魏は次第に勢力を拡大し、燕への使者・拓跋儀は「燕主老い太子暗愚、燕に内紛あらば乗ずべし」と珪に進言する。

魏と燕の離反

  • 珪は賀訥の内紛に乗じて燕に討伐を要請する「借刀殺人」の策を用い、賀訥兄弟を屈服させる。慕容麟は珪を警戒し朝貢を促すが、珪の弟拓跋觚が燕に抑留されたことから魏燕関係は破綻する。

西燕の混乱と丁零翟氏の滅亡

  • 謝安が病没し、謝玄も間もなく世を去る。西燕主慕容永は晋の洛陽を侵すが朱序に撃退される。
  • 丁零の翟遼は晋の黎陽太守を欺いて城を奪い自立、燕にも叛服を繰り返し、ついに魏天王を自称するが病死。子の翟釗が継ぐも燕の慕容垂に攻められ、西燕へ逃れた後も謀反を疑われ慕容永に殺され、丁零翟氏は滅亡する。

(詩:丁零翟氏の裏切りと滅亡を評する趣旨)

評語

拓跋珪母子は幾度も死地を脱して魏(北魏)を興し百五十年続く大国となったが、舅賀訥の恩を後に仇で返し、燕の後援を受けながら後に燕を窺うなど、信義に欠ける行いが多かったと指摘する。それでも隆盛したのは天運であり、力が理に勝った時代の証左とする。丁零翟氏も慕容垂を頼りながら離反を繰り返し自滅しており、夷狄に親愛なしとの理を述べ、慕容垂自身もかつて前秦を裏切った経緯があるだけに、翟氏の反復を強く責められる立場ではないとも評する。