兩晉演義第七十回 虜の謀に堕ち晋将が絶澗を越え、童謡に応じ秦主が新城で縊れる (墮虜謀晉將逾絕澗 應童謠秦主縊新城)

慕容沖の長安包囲と苻堅の抗戦

  • 慕容沖が数万の兵で長安に迫り、苻堅と城壁越しに罵り合う。苻堅は錦の袍を贈って懐柔を試みるが、沖は帝位を要求して拒絶。
  • 両軍は旬を超えて交戦し勝敗つかず。苻堅自ら出陣して緒戦は勝つが、白渠まで深追いして伏兵に包囲され、鄧邁ら一族の将が決死の突撃で堅を救出する。
  • 沖は夜襲で長安南門に突入するが、竇沖・李辯らに撃退され八百級を討ち取られる。堅も反撃してアパオ城まで沖を追うが、伏兵を警戒し兵を退く。

後秦・姚萇の漁夫の利策と新平の惨劇

  • 姚萇は「燕と秦を互いに争わせ、疲弊を待って長安を取る」策を採り、嶺北に移り新平を攻める。
  • 新平太守苟輔は忠義を説く郡人に励まされ籠城し、萇の攻城・偽装降伏の誘いをことごとく退ける。
  • 萇は兵糧攻めで輔を屈服させたのち、開城して退去する住民一万五千を偽って陥穽に誘い込み、皆殺しにする。萇は新平を占拠。

鄴城攻防と劉牢之の苦戦

  • 燕王慕容垂に包囲された鄴城を、晋の劉牢之が二万の兵で救援し垂を撃退。牢之は深追いして慕容垂の五橋澤の伏兵計に嵌まり、橋を落とされて危地に陥るが駿馬で澗を飛び越えて辛くも脱出、苻丕の援護で燕軍を退ける。
  • 鄴は飢饉に苦しみ、苻丕は枋頭に移って晋の食糧を頼り、劉牢之に鄴の守備を託す。謝玄は牢之を呼び戻す。丕は鄴に戻り、内通を企てた楊膺を誅殺。

苻堅方の相次ぐ敗北

  • 苻暉は沖に連敗し自殺。李辯・彭和正は西州で挙兵するが堅の召還に応じず。苻方は驪山で戦死、韋鍾父子は捕らえられ、鍾の子謙は沖に降って馮翊招降を試みるも同族に罵られ、鍾は服毒自殺、謙は晋へ逃亡。
  • 苟池は沖の一族慕容永に討たれ、俱石子は鄴へ逃走。楊定が沖軍を大破し一万余を捕らえるが、堅は捕虜を皆生き埋めにする。

苻堅の最期

  • 長安上空に不吉な鳥の群れが現れ、術士が落城を予言。沖は総攻撃をかけ、堅は矢を浴びながら防戦する。
  • 馮翊の堡塞は決死で糧を送るが多くが燕兵に殺され、三輔の豪民が内応の火攻めを申し出るも風向きが逆転し自滅する。
  • 堅は長安で招魂の祭を行うが、夜な夜な怪しい声や讖書・童謡が「五将に出れば久しく国を保てる」と告げるため、太子宏に長安を託し、寵妃張夫人・幼い子女らと共に東の五将山へ脱出しようとするが、直前に楊定が敵の陥穽にかかって捕らえられたと知り、動揺したまま出城する。
  • 長安は太子宏も維持できず一族を連れて下辯へ西走、慕容沖が入城して大略奪を行う。堅は五将山へ逃れるが、後秦の姚萇配下・呉忠に山を包囲され捕らわれ、新平に幽閉される。
  • 姚萇は伝国の璽を要求するが堅は拒絶して罵倒。使者の尹緯が禅譲を勧めても堅は拒み続け、萇はついに堅に自尽を迫る。堅は「羌奴に娘を辱めさせるな」と言い残し、幼女寶錦を自ら殺してから縊死。張夫人も剣で自刎し、中山公詵も後を追って自害した。

後日談

  • 姚萇は苻堅父子の死を悼むふりをして手厚く葬り、壮烈天王と諡した。かつての童謡「苻堅は新城に死す」「三十年ののち江淮の間で敗れる」「魚羊田升が秦を滅ぼす(鮮卑を暗示)」がことごとく的中したことが語られる。
  • 太子宏は下辯で義兄楊璧に見捨てられるが、妻の順陽公主(堅の娘)は夫を捨てて宏に従い、共に晋へ亡命する。
  • 苻丕は鄴から潞州、晋陽へと転じ、王永ら諸将の推戴で帝位を継ぎ、堅の廟を建てて世祖と諡し、太安と改元。皇后・皇太子を立て、諸将に官爵を与える。各地に散っていた苻氏一族や旧臣が次々と丕のもとへ帰参し、隴右の諸将も反姚萇で結集、丕は檄文を発して姚萇・慕容氏討伐を宣言する。

(詩:苻氏の命脈がわずかに続いたが、苻丕は名君にあらず、晋陽の興隆も一年余りで終わる、という趣旨)

評語

苻氏衰亡は東晋にとって北伐の好機であり、謝安・謝玄の出兵は時宜を得ていたが、鄴城の援助が結果として姚秦・慕容氏を助ける形になったのは謝氏の失策だったとする。劉牢之は勇に逸り謀に欠け慕容垂に敗れ、河北はついに異民族の手に落ちた。苻堅は驕りによって自滅し、讖書を信じて五将に走った末に新平で客死したのは自業自得だが、張夫人の殉節と中山公詵の殉孝は、夷狄の下にあってもなお綱常を守った例として称えられる。