兩晉演義第七十一回 僧の言を用い呂光が兵を還し、逆謀に依り段随が主を弑する (用僧言呂光還兵 依逆謀段隨弒主)
苻丕の討伐檄文
- 苻丕は王永に諸軍を統べさせ、慕容氏と姚萇討伐の檄文を発する。内容は苻丕の正統性を訴え、姚萇を「牧士の身で大逆を犯した巨賊」と糾弾し、三十万の義兵を糾合して主上を奉じ天罰を下すと呼びかけるもの。しかし苻氏はすでに衰退しており、檄文だけでは実効を持たなかった。
鳩摩羅什と呂光の帰還
- 西域を平定していた呂光は関中の大乱を聞き龜茲に留まろうとするが、僧・鳩摩羅什の勧めで隴右への帰還を決意し、駱駝二万頭に財宝や珍獣を積んで出発する。
- 鳩摩羅什の由来が語られる。天竺の宰相の子である父・鳩摩羅炎が出家して亀茲に至り、国王の妹と結ばれて羅什が生まれた。羅什は幼くして経典を読破し神童と称され、母と共に沙勒などを遊学して名声を高め、亀茲に迎えられて大乗仏教を広めた。
- 苻堅は星占いで「大智が中国を輔ける」との予言を聞き羅什を望み、呂光に西征を命じて迎えさせる。呂光は亀茲を攻略して羅什を得るが、還俗させようと酒に酔わせ亀茲王女と無理やり結ばせる。羅什は先見の明で洪水を予言して的中させ、呂光の信頼を得て東帰を進言する。
呂光の涼州平定
- 帰途、涼州の梁熙に阻まれるが呂光は撃破し、梁熙父子を殺して姑臧に入り涼州刺史を自称。抵抗する酒泉太守宋皓、南郡太守索泮を討ち、泮は主家への忠義を貫いて斬られる。
- 張天錫の遺児大豫を擁立した反乱勢力(焦松・王穆・鮮卑禿髮氏ら)が姑臧に迫るが、呂光は奇襲でこれを撃破し、大豫は捕らえられ処刑される。
- 呂光は苻堅横死の報を受け喪に服し、太安と改元して大都督大将軍を自称する。呂光の生い立ち(呂婆樓の子、氐族、王猛に見出され略陽出身)と、涼州占拠が後涼建国の始まりであることが語られる。
各地の動乱
- 同時期、乞伏国仁が西秦を建て自立するなど、苻秦崩壊後の群雄割拠が広がる。
- 博陵を守る秦の忠臣王兗は慕容麟に包囲され、降伏勧告を拒絶して戦死。固安侯苻鑒も殺される。
- 慕容垂は中山の充実ぶりを称え、四男温(樂浪王)を評価。垂は中山で燕帝を称し建興と改元、太子や諸子を封じ、生母蘭氏を皇太后とする一方、先の可足渾皇后を廃し過去の怨みを晴らす。
西燕の内紛と段隨の簒奪
- 長安に入った慕容沖は放縦に流れ賞罰が乱れ、人心を失う。慕容盛は幼くして沖の器量不足を見抜く。
- 沖配下の韓延が前将軍段隨を唆して謀反させ、夜襲で慕容沖を殺害。段隨は擁立され昌平と改元するが、群臣は畏怖して従っただけであった。
西燕のその後の内紛
- 慕容永・慕容恒が段隨・韓延を誅殺し、宜都王の子・慕容顗を擁立するが、恒の弟慕容韜に暗殺される。恒は沖の子瑤を立てるが乱軍で死に、最終的に慕容永が推戴され、慕容泓の子忠を経て永自身が大将軍大単于を称する。
- 永は中山の慕容垂と晋陽の苻丕の双方に使者を送り臣従・仮道を求める。
(詩:苻秦の王気が尽き、もはや頽勢を支えられないという趣旨)
評語
仏図澄や鳩摩羅什のような異能の僧が乱世に重用されたのは、世が乱れ聖王が現れない時代ゆえと評す。慕容沖は男色の寵で燕の帝位に就いた稀有な例だが、国を治める器ではなく即位後まもなく横死したのは当然の帰結。段隨は臣下でありながら簒弑に与した大逆であり、たとえ韓延が首謀者でも位に即いた段隨こそ罪の主体であるとし、春秋の筆法に倣ってこれを本回の首悪とする。