兩晉演義第六十七回 山荘で碁を賭し敵が来るも驚かず、淝水で兵を交え兵多くして却って敗れる (山墅賭弈寇來不驚 淝水交鋒兵多易敗)
張夫人と幼子の諫言も届かず
寵妃張夫人は上書して南征の不利(天時・妖異の凶兆)を説くが、苻堅は取り合わない。幼子の中山公詵も苻融ら賢才を用いず強行することを諫めるが、これも一蹴される。
桓沖の襄陽攻めと慕容垂の焚火の計
桓沖は襄陽を攻めるが、慕容垂が夜間に無数の松明を掲げて大軍に見せかけたため、桓沖は驚いて撤退した。
大動員と出征
苻堅は全国から兵を徴発し、良家の子弟を精鋭「羽林郎」に組織、征服後の人事まで先取りして布告する(周囲は時期尚早と嘲る)。苻融は再三諫めるが聞かれず、姚萇を龍驤将軍に任じたことも竇沖に不吉と評された。慕容垂父子は南征を燕再興の好機と密かに期す。太元八年秋、六十万を超える大軍が長安を発し、張夫人も従軍する。
謝安、山荘の囲碁で動じず
秦の先鋒が潁口に達すると、晋は謝石・謝玄らを迎撃に送る。謝玄が謝安に策を問うても謝安は動じず、山荘で碁を打つばかりで軍議を語らない。桓沖の援兵申し出も謝安は断る。桓沖はこれを見て晋の前途を危ぶんだ。
洛澗の勝利
秦は寿陽を陥落させ、胡彬は硤石に退く。朱序は密かに謝石・謝玄に速戦を勧め、謝琰もこれに賛同。劉牢之が洛澗で秦将梁成・王詠を討ち取り、秦軍一万五千を討った。この勝利で謝石も進撃を決意する。
草木皆兵と淝水の戦い
苻堅・苻融は寿陽城から晋軍の整然たる陣容と八公山の草木を見て「敵は侮れない」と怖じ気づく(草木皆兵)。謝玄は淝水を挟んで対峙する秦軍に渡河のための後退を求め、苻堅は半渡を討つ策として応じたが、後退命令が伝わると秦軍は制御を失い総崩れとなる。朱序が「秦軍敗れたり」と叫んで混乱を煽り、苻融は落馬して晋軍に討たれた。苻堅自身も流れ矢を受けて敗走、風声鶴唳に怯えながら逃げ延びる(詩は用いず要約のみ)。
苻堅の敗走と慕容垂の温情
朱序・張天錫は晋に帰順した。苻堅は乞食同然の窮状から百姓に助けられ、後に張夫人と再会し、無傷で残った慕容垂の三万の軍勢に迎えられる。慕容垂の子慕容寶・慕容徳らは秦を討ち燕を興す好機と勧めるが、垂は恩義を理由に苻堅を保護し、機を待つ方針を崩さない。慕容垂は苻堅を長安まで護送する体で同行しつつ、内心は再起を期していた。
慕容垂の離脱
洛陽に至った垂は、北方の民心慰撫と祖廟参拝を口実に別行動の許可を求め、苻堅はこれを許す。権翼は「檻を放たれた鷹」の譬えで引き止めを進言するが、苻堅は信義を重んじて聞かない。権翼の刺客も垂の身代わり策で失敗し、垂は無事に離脱して秦の支配から抜け出す。苻堅は苻融の死を弔い、長安で大赦を行う。
謝安、勝報に喜びを隠す
謝石らの勝報が届いた時、謝安は客前では平静を装い対局を続けるが、客が去った後は喜びのあまり敷居につまずき下駄の歯を折った(詩:謝安の抑えた喜びを詠う)。
評語
謝安が別荘で碁に興じたことについて、鎮定と評する者も軽率と評する者もいるが、いずれも一面的である。寡兵で秦の大軍に当たる絶望的状況で、謝安はあえて動揺を見せず人心を安定させたに過ぎない。朱序の内応と苻融の失策があって初めて晋は淝水に勝てたのであり、その安堵が下駄の歯を折らせたのである。また慕容垂が苻堅を殺さなかったことにも知己への情がにじむ。垂の本意は秦を滅ぼすことではなく燕を復興することにあり、恩義と大義を両立させようとした点に評価すべき筋目がある。