兩晉演義第063回 海西公は誣いられ廃され、崑崙婢が子を産み基を承ける (海西公遭誣被廢 昆侖婢產子承基)
桓温の野心と廃立の謀
壽春の勝利を機に桓温は「伊霍の挙」(皇帝廃立)を郗超に唆されて決意する。無実の帝奕(司馬奕)に「痿疾で子ができず、寵臣の子を密かに太子に立てようとしている」との根も葉もない噂を流し、廃位の口実とした。
帝奕の廃位と簡文帝の即位
桓温は建康に赴き褚太后に廃立を奏上、太后はほぼ抵抗なく承認した。百官も先例がなく困惑する中、王彪之が漢の霍光の故事に倣って手続きを整え、帝奕は東海王に降格されて宮を出た。代わって会稽王昱が迎立され簡文帝となる(在位実質一年未満)。桓温は廃立の弁明をしようとしたが、簡文帝の涙を見て何も言えず退いた。
桓温の粛清と海西公の幽閉
桓温は武陵王晞、新蔡王晃、庾氏一族(庾蘊・庾倩・庾柔ら)を謀反の嫌疑で次々に排除・誅殺し、権勢を強めた。謝安は桓温に対し敢然とした態度を貫き一目置かれる。廃位された帝奕(海西公)は呉県西柴里に移され監視下に置かれた。庾希らが海西公擁立を掲げて反乱を起こすが即座に鎮圧される。
簡文帝の崩御と後継問題
簡文帝は男子に恵まれず悩んでいたが、卜者の予言通り、身分低い織婢の李陵容(渾名「崑崙婢」)が男児(後の孝武帝昌明)を産んだ。簡文帝は病篤くなり、桓温に摂政や禅譲まで示唆する遺詔を用意させようとしたが、王坦之がこれを破り「家国の事は大司馬に一任する(諸葛亮の故事に倣う)」との内容に改めさせた。簡文帝崩御、太子昌明が即位し孝武帝となる。桓温はこれに大いに失望した。
妖賊盧悚の乱と海西公の最期
彭城の妖人盧悚が海西公擁立を企て偽の詔で誘うも、海西公自身がこれを見抜き拒絶。後に盧悚は武庫を襲撃するも毛安之らに鎮圧され処刑された。海西公は騒動から免れたが以後ひっそりと暮らし、太元十一年冬、四十五歳で病没した。
評語
桓温は枋頭で大敗し壽春の小勝のみで廃立を強行したことを厳しく批判する。帝奕には落ち度がなかったにもかかわらず曖昧な罪を着せられたことを憐れみ、その黒幕である郗超の罪も重いとする。会稽王昱(簡文帝)が賊を討たず廃立を甘受したことも批判し、崑崙婢の産んだ子(昌明・道子)も後に晋の命運を傷つける結果となったと総括する。