兩晉演義第三十六回 銭鳳を扶け即座に謀を用い、王含を遣り出兵し順を犯す (扶錢鳳即席用謀 遣王含出兵犯順)
王允之の機知と王氏一族の配置換え
- 王敦の甥・王允之は敦と銭鳳の謀反の密談を聞いてしまうが、酔ったふりをして嘔吐し寝入った様子を装い、敦の疑いをかわす。父・王舒に帰省を許されると、この秘謀を王導とともに明帝へ密告する。
- 陰謀が漏れたとは知らない王敦は、宗族の勢力を固めるため王含を征東将軍・揚州江西都督に、王彬を江州刺史に転任させる。含だけが敦に与し、舒・彬は表向き従うのみで敦には与しない。
周氏一族の粛清
- 会稽内史周札の一族は五人が侯に封じられるほど栄えていたが、周筵の母の喪送葬が盛大だったことで王敦に警戒される。
- 周顗の弟・周嵩は兄が理由なく殺されたことを恨み、王敦の養子王応を軽んじる発言をして敦に疑われる。周嵩兄弟の母・李絡秀の身の上(軍門の妾となり子の栄達で家門を興した経緯)が挿話として語られる。
- 敦は道士李脱の妖言事件を口実に周札一味の謀反を訴えさせて李脱を処刑させ、続けて周筵・周嵩を連座させて殺害。さらに沈充に命じて会稽の周札とその一族も討たせる。
王敦の病と後事の三策
- 太寧二年、王敦は重病となる。銭鳳が後事を問うと、敦は「兵を解き朝廷に帰順するのが上策、武昌に退いて自守するのが中策、自分が生きているうちに東下し僥幸を求めるのが下策」と語る。銭鳳は下策こそ好機とみて同志と挙兵を約す。
温嶠の離間策と明帝の密偵
- 温嶠は敦に疎まれていた身でありながら偽って敦に忠勤を尽くし、銭鳳とも親しく交わって信用を得る。丹陽尹の欠員に銭鳳を推挙するふりをして自らその職を得て建康に入り、送別の宴では酔態を装って銭鳳を試し、疑われぬまま脱出に成功する。
- 温嶠は建康で庾亮・郗鑒らと討伐を謀り、明帝も決意を固める。明帝は自ら微服で姑孰へ偵察に赴き、王敦の陣で発見されかけるが、餅売りの老婆に託した七宝鞭で追手を欺き逃げ帰る(「黄須鮮卑奴」の故事)。
討伐の詔と布陣
- 明帝は王導を大都督・揚州刺史、温嶠を中塁将軍として卞敦と石頭城を守らせ、応詹・郗鑒・庾亮・卞壷らにも任務を与え、諸州の兵を都に召集する。
- 王導は「王敦は既に死んだと偽り、罪を銭鳳一人に着せれば士気が振るう」と提案し、偽って喪に服しつつ詔を発する。詔では敦の当初の功と、その後の専横・誅戮・僭越を列挙して罪を糾弾し、銭鳳の誅殺に懸賞をかける一方、敦配下の将士や被害を受けた州郡官には寛大な処置を示す。
郭璞の予言と死
- 王敦は詔を見て怒り病がさらに悪化する中、記室の郭璞に卜占をさせるが、璞は「事を起こせば禍は目前」「武昌に退けば長生きできる」と告げる。敦が自らの寿命を問うと璞は「今日の正午に尽きる」と答え、怒った敦に処刑される。璞は刑場までの道すがら自分の死の様子を的中させ、生前世話をした男の手で葬られる。
王含の東征と明帝方の防衛
- 敦は王含を元帥として銭鳳・鄧岳・周撫らとともに東進させる。銭鳳が事成った後の天子の処遇を問うと、敦は「まだ即位もしていない、東海王と裴妃さえ保護すればよい」と答える。
- 王含軍は建康西岸に迫るが、温嶠が朱雀橋を焼き落として渡河を阻む。王導は王含に降伏を勧める書簡を送るが返答はない。
- 郗鑒は「敵は数を頼む一撃必勝狙いだから堅壁持久で疲弊を待つべき」と説き、その策どおり段秀が油断した王含の陣を急襲して撃破する。
王敦の急死
- 敗報を聞いた王敦は「兄は老いぼれ女のようで戦にならぬ、自分が出るしかない」と怒るが、起き上がろうとした途端に眩暈を起こして昏倒し、意識を失う。
評語
- 王敦が示した上中下三策のうち上策こそ最善と知りながら実行しなかったのは、僥幸を頼んで一発逆転を狙ったためであり、利に目がくらんだ末路と評す。
- 王允之の偽酔、温嶠の偽酔がともに敦を欺いた奇策として並べて称えられる。
- 元帝が敦に逼られたのは王導の助勢によるところが大きく、明帝の討伐決意後も王導が敦の死を詐称して延命を図った経緯から、王導の敦への加担ぶりが暗に批判される。
- 郭璞が卜占に長けながら敦の側にいて殺される羽目になったことに著者は運命の不条理を感じると結ぶ。