兩晉演義第三十四回 湘中を鎮め譙王が義兵を挙げ、石頭を失い元帝は心を驚かす (鎮湘中譙王舉義 失石頭元帝驚心)

元帝の対応と王敦幕府の人材

  • 元帝は討伐の詔を発するが、王敦は動じず、羊祜の従孫羊曼、放蕩で知られる謝鯤、著作佐郎郭璞ら名士を幕僚に迎える。謝鯤が「劉隗は禍の元だが城狐社鼠にすぎない」と穏健論を述べ王敦に叱られる場面が描かれる。

郭璞の占術逸話

  • 郭璞の来歴(河東の出身、隠士郭公に師事し占術を修めたこと)と、趙固の愛馬を蘇生させた奇術、廬江での婢をめぐる妖術の作り話(実は自ら婢を得るための策略だったことが仄めかされる)が語られる。
  • 王導の災厄祓いの逸話(柏の木を身代わりに用いる)、東晋建国に関わる瑞祥占い(銅鐸の発見、古鐘の出土)の逸話も紹介され、いずれも郭璞の作為が疑われる書きぶりとなっている。
  • 王敦に召し出された郭璞は、王敦の謀反を予感し悩みを深める。

各地の去就

  • 王敦の兄王含が建康を出て合流。梁州刺史甘卓は当初日和見を装うが、順陽太守魏該の拒絶や参軍鄧騫・楽道融の説得を経て、王敦討伐へ傾く(鄧騫と参軍李梁の議論、楽道融の説得の要旨を含む)。
  • 譙王承は湘州で挙兵し、虞悝兄弟らの補佐を得て周辺郡が呼応、王敦に与した湘東太守鄭淡は討たれる。

長沙の攻防と甘卓の逡巡

  • 元帝は甘卓・陶侃を任命して王敦討伐の体制を整える。王敦は魏乂・李桓に長沙を攻めさせ、譙王承は死を覚悟して籠城するが司馬虞望が戦死する。
  • 甘卓は鄧騫らの再三の督促にもかかわらず出兵をためらい、長沙救援は間に合わない。

建康陥落

  • 劉隗・戴淵が建康に入り、刁協とともに王氏一族の誅殺を元帝に求めるが許されない。王導は一族で謝罪の姿勢を示し、尚書周顗が王導を庇う言葉を元帝に述べる一方、酔余の奔放な言動から王導に誤解される場面が描かれる。
  • 王敦は石頭城を攻略(守将周札の降伏)。劉隗・刁協・戴淵の軍は総崩れとなり、王導・周顗の不和も響いて建康軍は各所で敗走する。太子紹が自ら出陣しようとするが温嶠に諫止される。
  • 元帝は成す術なく、王敦に和睦を申し出るが拒まれる。刁協・劉隗は元帝の勧めで逃亡するが、刁協は道中で殺され、劉隗は後趙に亡命して重用される。(詩:刁協・劉隗の末路を詠う)

評語

  • 譙王承と甘卓を対比し、承の忠義は身命を賭した真の忠、甘卓は保身に基づく躊躇にすぎないと断じる。刁協・劉隗については、智謀も勇気も乱を治めるに足らず、事態を悪化させた責任を負うとしつつ、劉隗が敵国に投じて生き延びたことを特に厳しく批判する。元帝が事態を見誤ったことが東晋衰微の一因になったと結ぶ。