兩晉演義第三十三回 段匹磾は捕らわれ河朔を失い、王処仲は上表に抗い江南で叛く (段匹磾受擒失河朔 王處仲抗表叛江南)

段匹磾の没落

  • 劉琨殺害後、匹磾は人心を失い、末抷や石勒配下の攻撃に晒され転戦を重ね、冀州刺史邵続を頼る。
  • 邵続は石虎・孔萇に敗れ捕らえられるが節を曲げず、石勒に厚遇されて灌園で自活する高士ぶりが語られる。
  • 文鴦の奮戦(単騎での激戦)にもかかわらず樂陵は陥落し、匹磾・文鴦・邵続の子らも捕らえられる。匹磾は後趙の官を受けつつも晋の服・節を守り続けるが、のちに謀反が発覚して殺される。文鴦・邵続も鴆殺される。

荊州の平定と周訪の悲運

  • 王敦の指示を受けた周訪が、杜曾・鄭攀・第五猗らを討伐して漢淝一帯を平定する(竟陵内史朱伺の忠死の逸話も含む)。
  • 周訪は荊州刺史就任を王敦に約束されるが、従事郭舒の進言で王敦がこれを反故にし、自ら荊州牧を兼ねる。周訪は憤りつつも防備に努めるが、まもなく病没(陶侃との運勢比較の占いの逸話とともに紹介)。

元帝と王敦の対立激化

  • 元帝が刁協・劉隗を重用し王氏を疎んじたことに、王敦が抗議の上表(かつての「管鮑の交」の約束を持ち出す内容、要旨のみ)を送るが、王導はこれを取り次がず握りつぶす。王敦は直接朝廷に訴え、元帝の疑念を深める。
  • 元帝は戴淵・劉隗を要地に配し、表向き討胡を掲げつつ実際は王敦への備えとする。王敦・劉隗の間で書簡の応酬があり、互いの不信が深まる。
  • 祖逖は王敦と刁協・劉隗の内紛による国難を憂い、志半ばで病没(享年五十六)。

王敦の挙兵

  • 祖逖の死を喜んだ王敦は挙兵を決意。劉隗弾劾を名目とする表文(劉隗の専横・不徳を訴える内容、要旨のみ)を朝廷に送り、宣城内史沈充も呼応して挙兵する。建康は震撼する。(詩:王敦の野心を詠う)

評語

  • 段匹磾を「全節の忠臣」とする従来評に異を唱え、義兄弟であった劉琨を殺害した不義、その後の変節を挙げて評価を下げる。王敦の危険性を見抜けず大権を委ねた元帝の判断の甘さ、さらに劉隗・刁協が事態を悪化させたことを批判する。