兩晉演義第二十九回 幼き皇子皇女は囲みを突いて救いを求め、皇帝は璧を銜え投降する (小兒女突圍求救 大皇帝銜璧投降)

陶侃と杜曾の攻防

瑯琊王睿は湘州平定の功で王敦を要職に進めるが、江東は「王馬共天下」と評されるほど王氏一族の権勢が強まる。陶侃は功績がありながら王敦に警戒され、杜曾を攻めるが油断から一時追い詰められ、辛くも危地を脱する。

荀灌、宛城の囲みを突破

新たに宛城を守る荀崧は杜曾に包囲され窮地に陥る。誰も使者を買って出ない中、十三歳の娘・荀灌が自ら夜陰に紛れて城を脱出することを申し出て父を驚かせる。荀灌は志願した壮士数十人を率いて包囲を突破し、襄陽の石覧に父の書状を届け、さらに尋陽太守周訪にも援軍を要請する。石覧・周訪の子周撫の援軍によって宛城の囲みは解かれ、荀灌の名は世に称えられることとなる。

陶侃と王敦の確執、鄭攀の反乱

杜曾は撃退されるも再び挙兵し、陶侃は王敦への警戒を押して面会に赴いた結果、荊州刺史の職を奪われ王廙に代えられる。これに憤った陶侃配下の鄭攀・馬俊らは杜曾と結んで王廙を攻め、王敦配下の讒言により陶侃も一時疑われるが、部下の弁明で事なきを得て広州刺史に転じる。陶侃は広州で無事を保ちつつ、日々煉瓦を運んでは鍛錬を怠らなかったという逸話が残る。広州では反乱を起こした王機・杜弘を撃破し平定する。

劉曜の関中侵攻と長安包囲

漢の中山王劉曜は再び関中に侵攻し、馮翊・北地を次々に攻略する。麴允は援軍を得られず苦戦し、劉曜の偽情報や火計に翻弄されて敗走を重ねる。晋将の魯充・梁緯は捕虜となるも降伏を拒んで自害し、梁緯の妻辛氏も貞節を守って自死する(忠臣烈婦の最期として特筆される)。

猗盧の横死と代の内乱

代公猗盧は末子偏愛から長子六修と対立し、ついに六修に討たれる。従子の普根が兵を興して六修を討ち代を継ぐが、国内はにわかに定まらず、劉琨への援軍派遣どころではなくなる。

長安陥落と愍帝の投降

関中救援はことごとく間に合わず、長安は劉曜に包囲されて食糧が尽き、民は互いに食み合うほどの惨状となる。索綝は密かに劉曜へ助命と引き換えの投降を持ちかけるが拒絶され、その子は処刑されて城内に送り返される。愍帝はついに車に乗り璧を銜えて自ら城外に出て降伏、御史中丞の吉朗は殉節して自害する。劉曜は古礼をもって愍帝を迎え、まもなく愍帝・公卿らは平陽へ送られる。平陽で愍帝は劉聰に謁見して光禄大夫・懐安侯に落とされ、麴允は獄中で自殺、索綝は不忠を理由に処刑される。これをもって西晋は完全に滅亡し、武帝以来四代・五十二年で幕を閉じる(詩:西都長安もまた陥落した悲運を悼む趣旨)。

評語

十三歳の荀灌が自ら囲みを突破し援軍を求めた勇気は古今に稀な壮挙として称賛され、梁緯の妻辛氏の貞節と併せ、当時の女性の気概の高さを讃える。麴允・索綝は共に愍帝を奉じながら結局は劉曜に降ったが、麴允はなお忠義の跡を示し、索綝は最後まで私心を捨てなかった点でより厳しく断罪される。愍帝が「事を誤ったのは麴允・索綝の二公」と嘆いた言葉は的を射ているが、若年で即位し流離の後を継いだ愍帝自身にも同情の余地があると結ぶ。