兩晉演義第二十八回 漢の劉后が上表し忠臣を救い、晋の陶侃が軍を合わせ乱賊を破る (漢劉後進表救忠臣 晉陶侃合軍破亂賊)
猗盧との連携と代の内紛の兆し
愍帝は猗盧を代王に封じ、劉琨は并州従事の莫含を参軍として差し出す。猗盧は末子の比延を偏愛し、長子六修を新平城に追いやりその母を廃するなど家庭内に不和を抱え、劉琨への援軍を出せる状態になかった。
劉聰の奢侈と陳元達の直諫
劉聰は懐帝を鴆殺した後も後宮での奢侈を極め、供物の不備や造営の遅延を理由に臣下を処刑するなど暴政を重ねる。太弟や群臣の諫めでようやく王彰を助命する一幕もあった。母の張氏の意向で立后は同姓を避けねばならず、実の娘を経て張徽光を皇后に立てるが、まもなく病没。続いて劉英の妹劉娥を皇后に迎え、寵愛のあまり䳨儀楼の造営を企てる。廷尉陳元達は、晋の失政を戒めとし民力を大切にすべきと切々と諫める上奏を行う(上奏文は先帝の質素と現状の窮乏を対比し造営を諫める内容)。
劉聰の激怒と皇后の取りなし
陳元達の諫言に激怒した劉聰は元達とその妻子の処刑を命じるが、元達は庭の李の木にしがみつき覚悟の言葉を述べる。群臣が命がけで助命を嘆願する中、新皇后(劉娥)が上奏文で「造営のために忠臣を殺せば非難は自分に及ぶ」と諫めたため、劉聰は激情を翻して元達を赦し、逍遙園を「納賢園」と改称するなど反省の意を示す(劉后の賢明さにより事なきを得た顛末が語られる)。
天変地異と劉皇后の急死
嘉平四年(建興二年)、太陽の異変や地震、隕石が肉塊となって現れるなど怪異が相次ぐ。陳元達は「後宮に寵妃が多すぎれば国が滅びる兆し」と諫めるが劉聰は取り合わない。劉皇后は難産の末に怪蛇と怪獣を産み落としたとされ、まもなく病死する。劉聰は厚く弔うが、悲しみも束の間、新たに靳準の娘二人(月光・月華)を寵愛し、月光を立てて三后並立という異例の体制を敷く。陳元達は重ねて危惧を上奏するが聞き入れられず、かえって権限を削がれる。
上皇后靳氏の密通事件
陳元達は靳月光(上皇后)が美少年と密通していた不祥事を摘発する。劉聰は激怒して月光を詰るが、翌日月光は服毒自殺する。劉聰は悲しみのあまり以後は諫言をすべて拒絶するようになり、政務は子の劉粲に委ねて自らは淫楽にふけるようになる。
関中救援の遅滞と陶侃の荊湘平定
愍帝は瑯琊王睿・南陽王保・劉琨に相次いで加官し勤王を促すが、いずれも自領の事情で動けない。江南では杜弢の乱が続く中、王敦の指揮下で陶侃が奮戦し、朱伺の働きもあって杜弢軍を撃退する。竟陵では胡亢配下の杜曾が内紛の末に台頭し、陶侃の陣を奇襲するなど一進一退が続くが、陶侃は最終的に王貢を懐柔して寝返らせ、杜弢軍を瓦解させて長沙を回復する(詩:荊湘平定の功は陶侃に帰すとの趣旨)。杜弢は行方知れずとなり、竟陵の杜曾のみが残存する。
評語
異民族の臣・陳元達の直諫と、同じく異民族出身の劉皇后のとりなしを、忠臣・賢后として公平に評価すべきだとする。一方、杜弢・胡亢・杜曾らの反乱は討伐されるべき乱逆であり、なかでも陶侃の忠勇が際立つため、本回は陶侃を中心に詳述し、周訪・甘卓らは簡略にとどめたと述べる。