兩晉演義劉刺史は忠義を尽くして節に殉じ、皇太弟は帝を挟み都に還る(第十六回 劉刺史抗忠盡節 皇太弟挾駕還都)
張方との攻防
- 長沙王乂は河間王顒配下の張方軍を破るが、張方は退いて陣を固め直し、翌日の反撃で乂軍を圧倒する。
和睦工作の失敗と包囲
- 乂は成都王穎との和睦を図るが穎は拒否、逆に洛陽への圧迫を強める中、物価は高騰し都は窮乏する。
- 祖逖の献策で雍州刺史劉沈に河間王顒の背後を突かせる策を講じるが、密使の皇甫商が捕らえられて殺され、失敗に終わる。
- 乂は劣勢を挽回し穎軍を大破するが、都の食糧難につけこんだ東海王越と朱默が謀反を起こし、乂を捕らえて金墉城に幽閉、和議を進める。
- 乂は表を上げて自らの忠誠と晋室の危機を訴えるも、東海王越の意を受けた張方の兵によって金墉城から連れ出され、炭火で炙り殺される凄惨な最期を遂げる(享年二十八)。
劉沈の忠節
- 密詔を受けた雍州刺史劉沈は挙兵して長安に迫るが、河間王顒配下の張輔らの反撃を受け、最後は張方配下の敦偉に捕らえられる。
- 顒の面前でも屈せず忠義を貫いた劉沈は、鞭打たれたのち腰斬に処される。
成都王穎の皇太弟就任
- 河間王顒・成都王穎は羊皇后の廃后と皇太子覃の廃立を上表し、惠帝はこれを容れて羊后を庶人とし、穎を皇太弟に立てる。
- 惠帝の車駕・儀仗はことごとく鄴へ移され、顒は太宰・大都督に進む。
東海王越の挙兵と嵆紹の忠死
- 成都王穎の専横に対し、東海王越は陳眕らと結んで挙兵、羊后・覃を復位させたうえで惠帝を奉じて穎討伐に出陣する。
- 石超率いる穎軍の反撃で越軍は蕩陰で壊滅、越は敗走。惠帝は頬に矢を受け車から転落する惨事となる。
- 侍中嵆紹は最後まで惠帝を守ろうとして斬殺され、その血が惠帝の衣を染める。惠帝は後にその血を洗い流すことを拒み、嵆紹の忠義を偲ぶ。
- 石超は惠帝を救護し鄴へ送り届け、成都王穎が出迎える。
張方の洛陽占拠
- 東海王越の敗走後、河間王顒配下の張方が洛陽に入城し、皇太子覃・羊后を再び廃するなど専権をふるう。
王浚の挙兵と鄴の陥落
- 幽州都督王浚は成都王穎の刺客の企てを退けたのち挙兵、烏桓・鮮卑の異民族兵を動員して東嬴公司馬騰と共に鄴へ進撃する。
- 匈奴五部大都督劉淵は成都王穎から援軍要請を受けるが、参謀劉宣の勧めで自立を志し、匈奴勢力を糾合する道を選ぶ(挙兵の伏線)。
- 王浚・司馬騰の連合軍に鄴は攻め落とされ、成都王穎は惠帝を奉じて南へ落ち延びる。道中、食料にも事欠く惠帝の困窮ぶりが描かれる。
- 武帝陵に参拝した惠帝は履を失うなど窮状を極めるが、最終的に張方の子熊、次いで張方本人に迎えられ洛陽へ帰還する。
- 鄴は王浚軍に徹底的に略奪され、鮮卑兵が捕らえた婦女数千人を易水に投じるという惨事も起きる。
- (詩:軍閥の争いが国を傾け、異民族を招き入れた罪を嘆く)
評語
- 劉沈は河間王顒の非を正すべく詔命に従って挙兵したのであり、その死は長沙王乂の非業の死とは異なり、真の気節の士として称えられるべきだと論じる。
- 惠帝の暗愚さが皇族の争いを増長させた根本原因であると指摘し、歴史を読む者は武帝の後継選びの誤りに思いを致すべきだとする。