遼史卷一百十三 列傳第四十三 朗
去就の逡巡と誅殺
朗、字は烏紳。季父房阿古齋の孫。性は軽薄で力があり、人は「呼遜」と呼んだ。天顕間、才勇により進み、戦うたびに勝って名を得た。会同九年、太宗が汴京に入った際、澶淵を守り河渡を扼する任を命じられた。天禄元年、燕趙以南がみな劉知遠に呼応すると、朗は汴の守将蕭翰とともに城を捨て朝廷に帰った。当初、朗の祖父阿古齊は弟の希達に額爾竒木の座を奪われ、それ以来一族の中で六院の要職に就く者がいなかった。世宗はその事情を詳しく知らぬまま朗を六院大王としたが、察克の乱に際し人を遣わして「事は成った」と告げると、朗は詳衮蕭呼哩に手勢を率いて赴かせ「双方の勝った方に付け」と命じた。穆宗即位後、誅殺され家属は籍没された。