遼史卷一百十三 列傳第四十三 徳哷

功績と最期

徳哷、字は蘇蘭。六院額爾竒木博果濟の後裔。天顕中、中台省右相となった。会同二年、趙思温とともに節を持って晋帝を冊立し、我が師が晋を伐った際、滹沱河に至って晋将杜重威を降し、その功は多かった。大同元年、相州の叛乱を平定し数万を斬った。世宗即位に際し使者を遣わして知らせ、徳哷に偏将珠展を捕らえて連れて来るよう命じたが、使者は誤って珠展の陣営に入ってしまい、珠展は詔を得て逆に徳哷を誘い捕らえ太后に送った。徳哷は世宗のもとへ逃げ帰った。和議成立後、燕王に封じられ南京留守となった。天禄五年、察克が弑逆を行った際、徳哷はちょうど酔っており妻に幕へ運ばれ、そのまま察克に従った。翌朝、夀安王が乱を討った際、脅されて従っていた者は皆兵を捨てて降ったが、徳哷は降らず、凌遅刑に処され、妻子も皆誅された。