遼史卷一百十 列傳第四十 耶律雅克
伊遜への加担
耶律雅克、字は善寧。季父房の後裔で、四世祖托音は太祖の異母弟にあたる。父の呼魯蘇は太師にまで至った。雅克は狡猾で口達者であり、清寧年間に左護衛太保となり、太康初め北面林牙に転じた。当初、耶律伊遜が中京留守から再び枢密使となった際、雅克を耳目として用い、見聞したことは必ず伊遜に告げたため寵愛され推挙されて左伊勒希巴に拝された。皇太子が誣告された際、帝は雅克を遣わして取り調べさせたが、太子は「帝には自分ただ一人の子であり、今や後継ぎとされているのになぜこのような事をする必要があろうか。公は私と兄弟同然の間柄であるので、無実の身であることを帝に伝えてほしい」と切に訴えた。しかし蕭錫沙がこれを聞いて雅克に「太子の言葉を偽りの自白に変えよ」と言い、雅克はうなずいて教えられた通りに奏上した。太子が廃され伊遜が忠良を多く陥れたのも雅克の謀による部分が多かった。契丹行宮都部署となり、五年夏、南府宰相に拝された。後に特哩衮に転じ、大安三年、西京留守として致仕し、寿隆初めに没した。