遼史卷一百四 列傳第三十四 耶律古雲
出自と経歴
- 耶律古雲は字を糾堅といい、六院部の人。父の阿古齊は官が節度使に至った。古雲は冲澹(心澄み穏やか)で礼法があり、文章を得意とした。
- 統和中、本部太保となり、開泰中しだいに塔布成節度使に遷った。霸州の疑獄を鞫し帝の意にかない、啓聖軍節度使を授けられた。
- 太平中、再び本部太保となったが病を理由に帰郷を願った。まもなく南院大王に擢されたが、風俗が日々頽廃していくのを歎き、老いを理由に致仕を願ったが許されなかった。
- 興宗は詩友として遇し、しばしば治要を問い、多くの匡建(諫正)を行った。詔を奉じ林牙耶律庶成・蕭罕嘉努とともに遼国の上世の事跡及び諸帝実録を編纂したが、未完のまま卒した。享年九十。
史論
- 論じて言う。孔子は「詩三百を誦しても政を授けて達せず、多く覚えても何の役に立とうか」と言った。王鼎は忠直で政に通じ、劉輝は東宮に侍って国計を建言し辺防の利害を明らかに述べ、いずれも洞達で機敏であった。孟簡は伊遜の姦邪を憎んで黜けられても怨まなかった。誰が文学の士が治世に益がないと言えようか。