遼史卷九十九 列傳第二十九 耶律薩喇

出自と経歴

  • 耶律薩喇は字を董隱といい、南院大王穆爾古の孫。忠直沈厚な性格。
  • 清寧初め西南面招討使に累進し、治績で称された。咸雍九年北院大王に改まり、まもなく契丹行宮都部署となった。
  • 太康二年、耶律伊遜が中京留守として、詔により百官が廷議し再び召そうとしたが、群臣は誰も正しく言おうとしなかった。薩喇は独り「蕭巖壽は伊遜に罪があり樞臣にすべきでないと言ったからこそ、陛下は彼を出されたのです。今再び召せば天下は疑いを生じるでしょう」と奏した。三度諫めたが受け入れられず、左右は震え畏れた。
  • 伊遜が再び樞密使となり、薩喇を責めて「君とは怨みはないのに、なぜ独り異議を唱えたのか」と言うと、薩喇は「これは社稷の計です、どんな怨みがありましょう」と答えた。
  • 伊遜は薩喇が蘇色と共謀し廃立を図ったと誣告した。詔により按じたが証跡なく、始平軍節度使に出された。蕭額圖琿の誣告に及んで、ついに使者を遣わして殺された。乾統年間、漆水郡王を追封され、宜福殿に肖像を描かれ、三子も官爵を追贈された。