遼史卷九十七 列傳第二十七 耶律吉遜

出自と経歴

  • 耶律吉遜は字を盈隱といい、永興宮分の人。興宗が青宮にあった頃、その左右に仕えて輔導した。
  • 聖宗が大漸(重篤)のとき、吉遜は馮嘉努とともに仁徳皇后が宰相蕭楚布らと謀逆したことを告発した。欽哀が皇太后として稱制するに及び、吉遜はとりわけ寵任された。
  • 重熙年間、その子の尼格が近侍として事に坐し誅に伏した。帝は吉遜に翼戴の功があり、かつその子の罪死を悼み、その官を世襲させようとしたが、吉遜は辞退した。因みに馬印の文に丕勒部の号があるのを見て、その部に隷させた。
  • 南府宰相を拝し、東北路詳衮に出て卒した。

史論

  • 論じて言う。哈里・音濟が臣たるや、伊遜が権を擅にし蕭格が貪黷を働いた時にあって、同じ官にありながらも正しく身を処し少しも阿らなかった。その過人ぶりは遠い。伝に「歳寒くして松柏の後に凋むを知る」というが、この二人はまさにそれに当たる。額特埒の戦功、竇景庸の獄を裁く力、楊績の忠言もまた賢と言うべきである。