遼史卷九十七 列傳第二十七 楊績

出自と経歴

  • 楊績は良鄉の人。太平十一年進士に及第し、南院樞密副使に累進した。杜防・韓知白らとともに進士堂帖を擅に給したため、長寧軍節度使に降された。
  • 涿州を知る職に徙され、清寧初め叅知政事を拝し同知樞密院事を兼ね、南府宰相となる。
  • 九年、重元の乱を聞いて姚景行とともに勤王したことを帝は嘉した。十年、興中府を知り、咸雍初め入って知樞密院事となる。
  • 二年致仕を願い出たが許されず、南院樞密使を拝した。帝は舊臣として特に燕見を詔して古今の治乱・人臣の邪正を論じさせた。
  • 帝は「今の羣臣で忠直なのは耶律玦・劉伸のみ。ただし伸は玦の剛介に及ばない」と言い、楊績は拝賀して「いつの世にも賢はいる。世が乱れれば独り身を善くし、主が聖なれば天下を兼ね済う。陛下が邪正を明らかに分けられれば天下は幸いです」と述べた。
  • 累表して帰郷を願ったが許されず、趙王に封じられた。太康年間、慣例により王遼西に改封され、致仕して守太保を加えられた。薨じ、子の貴忠が興中府を知った。