遼史卷九十七 列傳第二十七 耶律音濟

出自と経歴

  • 耶律音濟は字を阿古といい、丕勒部の人。父の雙寛は西辺を鎮めること二十余年、厳粛に治めて財貨を貪らず、当時称された。
  • 音濟は父の廕により官に補せられ、東京副留守・北樞密院侍御を歴任。当時蕭格・蕭特古斯らが佞によって重用され爵位を鬻ぎ賄賂を納めていたが、音濟は正道を保ち媚びなかった。ただ客省使に改まっただけであった。
  • 朝廷が使いを派遣して三京の隠れた戸を調べさせたが果たせず、音濟が代わって数千余戸を得た。
  • 昭懐太子が北南院事を知る際、音濟が輔導に選ばれ樞密使となった。耶律伊遜が太子を傾けようとして音濟が側にいるのを嫌い、羣牧林牙に出させた。
  • 太康元年、伊遜が牧地の賜与を請うたが、音濟は「今の牧地は狭く畜が繁殖できないのに、どうして臣下に分け与えられようか」と奏し、帝はこれを止めた。伊遜はこれによりますます音濟を嫉んだ。
  • 懐徳軍節度使に除せられ、漠北猾水馬羣に徙され、太保のまま卒した。