遼史卷九十四 列傳第二十四 耶律和囉木薩噶

耶律和囉木薩噶

  • 耶律和囉木薩噶、字は烏庫哩。孟父房の後。重熙末、祗候郎君に補され、清寧初め安州団練使を加えられた。太康中、懐徳軍節度使・奚六部図哩太尉を歴任し、詔して樞密官と東北辺事を措画させた。左護衛太保に改まり、上に侍り言うことの多くが率易であったが、その他意無きを察して上は優しくこれを貸した。
  • 太康8年(1082年)、西北路招討使事を知り、時に辺部尼都格爾らが来侵すると和囉木薩噶は北準布の酋豪磨古斯を誘いこれを攻めさせ俘獲甚だ多かった。左僕射を加えられた。
  • 再び尼都格爾らを討つ際、誤って磨古斯を撃ったため北準布はこれにより反乱を起こし、都監張九を遣って討たせたが克たなかった。二室韋と六院部特們羣牧宮分等の軍が敵に陥った際、和囉木薩噶は実をもって聞こえさせなかったため官を削られ大杖を決せられた。
  • 寿隆間、たびたび昇進して特哩衮兼侍中となり保節功臣を賜り、道宗崩御に及び宰相耶律儼と共に山陵の事を総べた。乾統中致仕し卒した。