遼史卷九十一 列傳第二十一 耶律玦

耶律玦

  • 耶律玦、字は烏展。約尼森濟汗の後。重熙初め、召されて国史を修め符宝郎に補された。たびたび昇進して知北院副部署事となり、入って太后に見えると后は左右を顧みて「先皇はかつて玦は必ず偉人になると言ったが果たしてそうであった」と言った。
  • 樞密副使に除され西南面招討都監として出て、同簽南京留守事・南面林牙を歴任した。皇弟秦国王が遼興軍節度使であった際、玦は同知使事として匡正するところが多かった。
  • 重熙10年(1041年)、再び樞密副使となり、咸雍初め北院副部署を兼ねた。秦国王が西京留守となるに及び玦を佐とすることを請いこれに従うと、歳中に獄が空になること三度あった。孟父房詳衮に召され、玦は貨殖を喜ばず、帝はその貧を知って宮戸十を賜った。かつて宰相に「契丹の忠正は玦のような者がいない。漢人ならば劉伸あるのみだ。しかしよくよく察すれば、玦は伸に優る」と言った。
  • これより先、西北諸部が久しく平らげられないでいると、上は玦を遣ってその状を問わせ弛慢な者を執えて痛くこれを繩し、酒疾により卒した。