蕭博諾
- 蕭博諾、字は留隱。奚王楚布寧の後裔で、幼くして孤貧、医家に傭われ牛を牧した。牛が稼を傷つけたためたびたび笞辱を受けた。医者はかつて博諾が熟寐する際に蛇が身を遶っているのを見てこれを異とし、読書を教えた。聡敏で学を嗜み、数年ならずして経史を渉猟し騎射を習った。既に冠すると意気豪邁であった。
- 開泰間、選ばれて護衛に充てられ次第に用いられたが、罪に坐して烏爾古に黥流された。久しくして召還され、たびたび劇任を歴て奚六部大王となり治は声望があった。
- 太平9年(1029年)、大延琳が東京に拠って反乱を起こすと、博諾は都監として右翼軍を率い、蒲水で賊と戦った。中軍がやや退くと、博諾は左翼軍と共に挟撃し、先に高麗・女直の要衝に拠って賊が援を求めるのを阻んだ。また手山で賊を破ると延琳は城に入り、博諾は馬に鎧わせず馳せて残賊を追殺した。やがて大軍が東京を包囲すると、博諾は諸叛邑を討ち吼山の賊を平らげ、延琳が堅守して出なかったが遂に擒えられ、博諾はその功により侍中を兼ねた。
- 重熙6年(1037年)、北準布副部署に改まり、再び奚六部大王を授けられた。重熙18年(1049年)、西南面招討使として夏国を西征した。博諾は兵二千で河橋に拠り巨艦数十艘を集め、大鉤を作らせ人の予測できぬようにした。戦の日、舟を河に布いて三十余里に亘らせ、人を遣って上流の浮物を伺わせては取らせた。
- 大軍が失利した際、博諾がまだ知らぬうちに折しも大木が流れ下り浮梁を壊し帰路を断とうとしたが、操舟者らが争ってこれを鉤し止め橋は壊れずに済んだ。翌年、再び西征し兵を懸けて深く入り大掠して還った。再び奚六部大王となり致仕し卒した。