遼史卷八十六 列傳第十六 杜防

倹約と誠実で信任を得た宰相

  • 杜防、涿州歸義県の人。開泰五年、進士甲科に及第、起居郎知制誥に累進し「宰相の器」と評された。太平中、政事舎人に遷り枢密副使を拝命。重熙九年、夏が宋を侵した際、宋が郭禎を送って和議への協力を求めると、帝は防を夏への使者として和議をまとめさせ、約定通り撤兵し侵地を返還させた。参知政事に拝命されたが韓紹芳・劉六符に忌まれた。防は誠実に対応し、重熙十二年に紹芳らが罷免されると一層信任を得た。
  • 重熙十三年、南府宰相を拝命。子が生まれた際、帝は防の屋敷に行幸し名を賜るなど厚遇したが、上奏に誤りがあったため武定軍節度使として出され、重熙十四年に再び南府宰相に召された。重熙二十一年秋、仁徳皇后への祭祀に際し儒臣に詩を賦させた際、防は最も優れた作を献じ金帯を賜った。道宗が諒陰(喪に服す)の際は大行皇帝の山陵使を務めた。清寧二年、帝は「卿は年老いて酒を好むゆえ、劇務は避けさせ大綱のみを任せる」と諭した。まもなく右丞相・尚父を加えられ卒した。帝は深く悼み賻贈を厚くし、中書令を贈り諡を元粛とした。子の公謂は南府宰相に至った。