遼史卷八十六 列傳第十六 牛温舒

「土」を懐に入れて宋を圧した使者

  • 牛温舒、范陽の人で剛正で節義を重んじ度量が大きかった。咸雍年間、進士に及第するも小官に滞留、大安初年、戸部使に累進し給事中・知三司使事に転じ国用を豊かにして評価され戸部侍郎を加えられた。三司使に改まり寿隆年間、参知政事兼同知樞密院事・攝中京留守を拝命、部民が留任を願い出て許された。三司使に召され乾統初年、再び参知政事・知南院樞密使事となる。
  • 乾統五年、夏が宋に攻められた際、和議を求めて温舒は蕭塔喇台と共に宋に使いした。宋の大宴の席で優人が道士の扮装をして土を求める寸劇を演じ「土が足りず和(混ぜること、和議に掛けた洒落)ができない」と言った際、温舒はすかさず立ち上がり手で土を掬い懐に入れ「臣は天子の命を受けて和を求めに来た。もし和が成らねば、この土すら持ち帰ってしまうぞ」と述べ、宋人は大いに驚き夏との和議を許した。温舒は帰国後、中書令を加えられ卒した。