遼史卷八十六 列傳第十六 耶律紐斡哩

肖像画の才で死罪を免れた画人

  • 耶律紐斡哩、字は海蘭。六院額爾竒木博果濟の後裔で、風采爽やかで画に長けた。重熙年間、同知㸃検司事に累進。駙馬都尉蕭呼都克が西夏に捕らえられた際、詔により三度使者として交渉し取り戻した。永興宮使・右祗候郎君班詳衮に転じた。
  • 秦晉長公主を娶ろうとした際、公主の孫の母が公主の婢と不仲であったことから「婢を排除すれば婚姻を許す」と持ちかけられ、紐斡哩は計をもって婢を殺した。婚姻は成立したが事が発覚し有司は死罪に処そうとしたが、紐斡哩は聖宗の肖像を描いて献じ死一等を減じられ辺境への流罪となった。その後も肖像画の才で同知南院宣徽事に起用され、宋への正月賀使として宋主の容貌を写して帰国。
  • 清寧年間、再び宋に使いした際、宋主が宴で花瓶を隔てて姿を見せなかったため陛辞の際に一度だけ見た容貌を頼りに、境に至って送別の宴の席で肖像を示すと人々はその神妙さに驚いたという。重元の乱の際に勤王が遅れたことを乱平定後の朝賀で帝に責められ、宴のさなか帝は紐斡哩を顧みて「重元が事を成していたら、卿は必ず上客となっていただろう」と皮肉り、紐斡哩は大いに恥じ入った。咸雍年間、太子太師を加えられ卒した。