遼史卷八十一 列傳第十一 蕭孝忠
「一国二枢密」を批判した重臣
- 蕭孝忠、字は薩巴、小字は特古斯。志は慷慨。開泰年間、祗候即君に補せられ越国公主を娶り駙馬都尉となる。殿前都㸃検を経て太平年間、北府宰相に抜擢。重熙七年、東京留守となり、渤海人の撃毬(球技)が禁じられていたのを「東京は重鎮で狩猟の場が乏しく、毬馬でなければ武を練る術がない。天子は四海を家とするのに彼我を分ける必要があろうか」と説いて禁を解いた。
- 重熙十二年に入朝して楚王に封じられ、北院枢密使を拝命。国制では契丹・漢人をそれぞれ北院・南院の枢密で治めていたが、孝忠は「一国に二つの枢密があるのは風俗の相違による。合一すれば天下の幸いである」と上奏したが、実現前に薨じた。帝は喪服のまま哭き、孝忠を弔うため死刑囚数人を赦し、葬儀に親臨し宮戸を賜り墓守を置いた。子の阿蘇は南院枢密使に至った。