遼史卷七十七 列傳第七 耶律斡

永康王擁立を号令する

  • 耶律斡、字は逹年。隋国王実嚕の孫で、南院額爾奇木烏蘇の子。若くして思慮深く、太祖の代からすでに任用されていた。太宗即位後、特哩衮となる。
  • 天顕末年、太宗が河東を援けた際、先鋒として張敬達の軍を太原北で破った。会同年間、北院大王に遷り、晋討伐でも先鋒として梁漢璋の軍を瀛州で破った。
  • 太宗が欒城で崩じた際、南方諸州郡は動揺し軍中も混乱したが、斡は耶律吼と諮って世宗擁立を決し、諸将に「永康王(世宗)は人皇王の嫡長であり天人ともに帰するところ。従わぬ者は軍法に処す」と号令した。世宗即位後、官戸五十を賜り裕悦を拝命。54歳で没した。