遼史卷七十五 列傳第五 耶律圖勒錦

生涯

  • 字は額哩音。肅祖の子学順の孫、勇にして謀あり。太宗の後晋討伐に際し、五院額爾竒木であった父逹嚕噶が戦死したため、その職を継いだ。会同元年、北院大王に改任、密議で帝の意にかなう進言を行い、石重貴・杜重威が滹沱橋で十万余の兵を擁して抵抗した際、諸将が持久策を進言する中「陛下がすでに大挙されたからには中途で止めれば城邑を失い戦いが長引く、漢人は足弱く行軍が遅い、精鋭を先んじて糧道を断てば成功は疑いない」と進言し帝を喜ばせた。重威は降伏し、翌年圖勒錦は軍中で卒した。

史論

  • 神冊の初め、風塵の中から抜擢された将相大臣たちが王運を翼扶し、名を成し得たのは一時の才によるだけでなく、太祖が誠を推して臣下を御し、独断せず衆策を総攬してよく用いたことにもよる。天与の機を捉えて功を立て、心腹耳目手足になぞらえられたのも偶然ではない。党項討伐・埒克討伐・渤海平定などの功は偉大であり、黙記が獄事を寃なく治め、佛徳が持論を曲げず、延徽が経紀を立て、紹勲が節を守って死に、圖勒錦が敵情を料って勝ちを制したことなどは、器量の大きい者ほど功が遠大に及ぶことを示す。佐命の臣と称されるにふさわしい。