遼史卷七十五 列傳第五 王郁
生涯
- 京兆萬年の人、唐の義武軍節度使處直の庶子。伯父處存の死後、その子郜が留後となったが梁との抗争に敗れて奔り、亂兵が處直を推戴して留後とし梁と結んだ。王郁は郜の亡命に従い李克用の女婿となり新州防禦使に任じられたが、處直は晋の討伐を恐れて郁に契丹を導引させ、自身は父の心を得るため契丹に降ることを喜んだ。神冊6年に降を送り太祖の養子となる。翌年、兄都が父處直を幽閉し留後を自称すると皇太子とともにこれを討ち、翌年鎮州攻めでも功をあげた。
- 天贊2年、阿古齊とともに燕趙を略して磁窯務を陥落させ、渤海平定にも功があり同政事門下平章事・崇義軍節度使に任じられた。太祖崩御に際し葬儀に参列した際、妻とともに淳欽皇后に帰国を願い出て「唐主の婿として夫(處直)はすでに弑された、夫妻の安泰は保てないので太后に常侍したい」と述べ、后は「漢人の中で王郎ほど忠孝な者はない」と喜んだ(太祖がかつて李克用と義兄弟の約を結んでいた縁による)。後に政事令を加えられ宜州で卒した。