遼史卷二十三 本紀第二十三 道宗三

咸雍八年(1072年)

  • 春正月癸未、烏爾古徳哷勒詳衮耶律超らが北辺の捷を奏し、戦いで多く殺したことにより南京・中京で僧に供養させた。甲申、魚兒濼に行幸。壬寅、昏霧が連日続いた。二月丙辰、北南樞密院が「陳ずべき事なし」と言上した。壬戌、北部討伐の功により烏爾古徳哷勒詳衮耶律超を知北院大王事とし、都監蕭阿嚕岱烏爾古徳哷勒詳衮に左監門衛上将軍を加えた。歳饑のため武安州の租税を免じ恩・蔚・順・恵等州の民を賑済した。三月癸卯、有司が春・泰・寧江三州の三十余人が僧尼となり具足戒を受けたいと奏し許可された。夏四月壬子、義・饒二州の民を賑済した。丁巳、図埓實に駐蹕。己邜、図古勒で避暑。五月壬午、晋王仁先が薨じた。六月甲寅、易州の貧民を賑済した。己未、中京を賑済した。甲子、中興府を賑済した。甲戌、北府宰相楊績を趙王に封じ、樞密副使耶律観を參知政事兼知南院樞密使事とした。丁丑、高麗が使者を遣わし来貢。
  • 秋七月己邜、慶州の靳文髙が八世同居であったので詔して爵を賜った。丙申、饒州の饑民を賑済した。丁酉、黒嶺に行幸。丁未、御書華厳経五頌を群臣に示した。閏月辛未、羖羊山で熊を射た。八月庚辰、混同郡王海古勒が薨じ使者を遣わし祭った。九月甲子、藕絲淀に駐蹕。冬十月己丑、參知政事耶律観が制を矯めて私第を営んだとして庶人に降された。癸巳、回鶻が来貢。十一月庚戌、祖州の税を免じた。丙辰、大雪のため民が禁地で樵採することを許した。丁邜、延昌宮の貧戸に銭を賜った。十二月戊辰、漢人行宮都部署耶律仲禧を韓国公に封じ、樞密副使參知政事趙徽を出して武定軍節度使とし、樞密副使柴徳滋を參知政事とし、漢人行宮副部署耶律大悲努を都部署に陞せ同知南院樞密使事とし、蕭罕嘉努を知左伊勒希巴事とした。丁丑、坤寧節により大赦。庚寅、高麗に仏経一藏を賜った。

咸雍九年(1073年)

  • 春正月丁未、双濼に行幸。夏四月壬辰、旺国崖に行幸。秋七月甲辰、大熊山で狩猟。戊申、烏爾古徳哷勒統軍が八錫林徳哷勒人が節度使を殺して叛いたと奏し、詔して威烏爾古部の軍を分けてこれを撃たせた。丙寅、南京が奏して帰義・淶水両県の蝗が宋境に飛び入り、残りは蜂に食われたと報じた。八月丙申、耶律仲禧を南院樞密使とした。九月癸邜、都爾嘉に駐蹕。冬十月、陰山に幸しそのまま西京に至った。十一月戊午、行幸の地の租税を一年免じることを詔した。甲子、南院大王哈爾吉が致仕。十二月辛未、知北院樞密使事耶律伊遜を中京留守とし、南院宣徽使耶律薩喇を南院大王とした。壬辰、高麗・夏国がともに使者を遣わし来貢。

咸雍十年(1074年)

  • 春正月乙邜、鴛鴦濼に行幸。二月癸未、平州の復業民の租賦を蠲免した。戊子、準布が来貢。三月甲子、図古勒に行幸。耶律超を北院大王とした。夏四月旱。辛未、奚人逹魯の三世同居により官を賜い旌した。五月丙寅、囚人を録した。六月戊辰、上が自ら題を出し進士を試した。壬申、臣庶に得失を言わせることを詔した。丙子、永安殿にて賢良を策問した。秋七月丙辰、秋山に行幸。癸邜、慶陵に謁した。九月庚戌、東京に幸し二儀・五鸞殿に謁した。癸亥、木葉山を祠った。冬十月丁邜、藕絲淀に駐蹕。丁丑、有司に史記・漢書を頒行することを詔した。十一月戊午、高麗が使者を遣わし来貢。十二月辛巳、明年を太康と改め大赦した。

太康元年(1075年)

  • 春正月乙未、混同江に行幸。壬寅、雲州の飢を賑済した。二月丁邜、祥州で火事があり使者を遣わし恤災した。乙酉、大魚濼に駐蹕。丁亥、鵝を獲たことにより鷹坊使耶律揚魯を工部尚書に加えた。三月乙巳、皇太子に仏書を写させることを命じた。夏四月丙子、平州の飢を賑済した。乙酉、犢山に行幸。閏月丙午、平・濼二州の飢を賑済した。庚戌、皇孫延禧が生まれた。五月甲子、妃の親族および東宮僚属に爵を等差をもって賜った。六月癸巳、興聖宮使奚謝嘉努を知奚六部大王事とした。戊戌、知三司使事韓操が銭穀を増羨したことにより三司使に任じられた。癸邜、使者を遣わし諸路の囚を按じた。特哩衮大悲努を始平軍節度使に、參知政事柴徳滋を武定軍節度使とした。乙邜、吐蕃が来貢。丙辰、皇太子に朝政を総領させることを詔し戒諭した。武定軍節度使趙徽を南府宰相に、樞密副使楊遵勖を參知政事とした。
  • 秋七月辛酉朔、平地松林で狩猟。丙寅、南京の貧民を賑済した。八月庚寅朔、日食があった。九月乙亥、藕絲淀に駐蹕。己邜、南京の飢により租税を一年免じ、あわせて銭粟を出して賑済した。冬十月、西北路の酋長希斯吹丹・雙寛らが来降。十一月辛酉、皇后が誣告され死を賜り、伶人趙惟一・髙長命を殺しあわせてその家族を籍没した。十二月己丑、南京統軍使耶律瑞努を特哩衮とし、漢人行宮都部署耶律霂を樞密副使同知東京留守事とし、蕭道拉を伊勒希巴とした。庚寅、張孝傑に国姓を賜った。壬辰、西京留守事蕭雅嚕を左伊勒希巴とした。

太康二年(1076年)

  • 春正月己未、春水に行幸。庚辰、雙濼に駐蹕。二月戊子、黄龍府の飢を賑済した。癸丑、南京路の飢により租税を一年免じた。三月辛酉、皇太后が崩じた。壬戌、殿前副㸃檢耶律轄呼を遣わし宋に哀を報じた。癸亥、使者を遣わし高麗・夏国に哀を報じた。丁邜、大赦。戊寅、皇太后の遺物を宋に贈った。夏六月乙酉朔、大行皇太后の尊諡を仁懿皇后とすることを上奏した。戊子、宋および高麗・夏国が各々使者を遣わし弔祭した。甲午、仁懿皇后を慶陵に葬った。己亥、図古勒に駐蹕。壬寅、北院樞密使魏王耶律伊遜を出して中京留守とした。丁未、皇后蕭氏を冊立し、その父祗候郎君必埓哩を趙王叔に、西北路招討使額哩頁を遼西郡王に、漢人行宮都部署駙馬都尉錫黙を桞城郡王に、參知政事楊遵勖を知南院樞密使事に、北院樞密副使蕭蘇色を知北院樞密使事に、漢人行宮副部署劉詵を參知政事とした。己酉、南府宰相趙徽が致仕。秋七月戊辰、秋山に行幸。癸酉、桞城郡王錫黙が薨じた。八月庚寅、狩猟で麛(子鹿)に遭ったがその母を憐れみ射なかった。九月戊午、南京の蝗により明年の租税を免じた。己邜、藕絲淀に駐蹕。冬十月戊戌、中京留守魏王耶律伊遜を召して再び北院樞密使とした。十一月甲戌、上が起居注を観たいと望んだが修注郎布当・和爾沁らが進めなかったため各々杖二百で罷免し、林牙蕭岩夀を威部に流した。この月、南京で地震があり民家が多く壊れた。十二月己丑、左伊勒希巴蕭托卜嘉を南院統軍使とした。

太康三年(1077年)

  • 春正月癸丑、混同江に行幸。乙邜、諸道の春貢の金帛および周歳の尚方銀の輸送を止めた。二月壬午朔、東北路統軍使蕭罕嘉努に尚父を加え呉王に封じた。甲申、北院樞密使魏王耶律伊遜の同母兄逹納・同母弟阿蘇を北南院樞密の選に、異母の諸弟を額爾竒木の選にそれぞれ世々預ることを詔した。己丑、魚兒濼に行幸。辛邜、中京の飢により巡幸を罷めた。夏四月乙酉、黒龍江に泛舟。五月丙辰、玉田・安次の螟(害虫)が稼を傷めた。癸亥、日中に黒子があった。己巳、犢山に駐蹕。乙亥、北院樞密使耶律伊遜が奏して、右護衛太保察喇らが北院樞密使蕭蘇色ら八人が皇太子を立てようと謀ったと告げたが、上は根拠なしとして罪しなかった。蘇色ら三人を外の護衛に補し、薩巴ら六人を各々鞭百余打って辺に徙した。丙子、西北路招討使遼西郡王蕭額哩頁を北府宰相兼知契丹行宮都部署事とした。戊寅、謀逆を告発する者には官賞を加重することを詔した。
  • 六月己邜朔、耶律伊遜は牌印郎君蕭額図琿に、かつて蘇色らの謀に預ったと誣って首させ、その姓名を籍にとって告げさせた。ただちに伊遜および耶律仲禧・蕭額哩頁・耶律孝傑・楊遵勖・雅克綽竒・蕭錫沙らに鞫治を命じ、皇太子を杖打ち宮中に幽閉した。辛巳、宿直官徳埓哩ら三人を殺した。壬午、宣徽使托卜嘉ら二人を殺した。癸未、始平軍節度使薩喇ら十人を殺し、さらに使者を遣わし上京留守蘇色および既に徙されていた護衛薩巴ら六人を殺した。乙酉、耶律托卜嘉およびその弟辰賚を殺した。丙戌、皇太子を廃して庶人とし上京に幽閉した。己丑、回鶻が来貢。東京留守同知耶律和勒博を殺した。辛邜、蘇色らの諸子を殺しその家を籍にとった。戊申、使者を遣わし五京諸道の獄を按じた。
  • 秋七月辛亥、護衛太保察喇に鎮国大将軍を加え図魯卜部節度使の選に預らせ、室韋察喇および蕭保神努・穆爾古にともに左衛大将軍を加え、牌印郎君額図琿は皇女趙国公主を娶らせ駙馬都尉に任じ、始平軍節度使祗候郎君耶律托卜嘉および蕭特古斯にともに監門衛上将軍を加えた。壬子、知北院樞密副使蕭罕嘉努を漢人行宮都部署とした。乙丑、秋山に行幸。丁丑、慶陵に謁した。八月庚寅、漢人行宮都部署蕭罕嘉努が薨じた。辛丑、慶陵に謁した。九月癸亥、玉田が嘉禾を献じた。壬申、乾陵廟を修めた。冬十月辛丑、藕絲淀に駐蹕。十一月、北院樞密使耶律伊遜がその私人を遣わし庶人濬を上京で密かに殺害した。閏十二月戊午、北府宰相遼西郡王蕭額哩頁を知北院樞密使事とし、左伊勒希巴耶律雅克を契丹行宮都部署とし、正旦の礼をあらかじめ行った。この年、南京は大熟であった。

太康四年(1078年)

  • 春正月庚辰、春水に行幸。甲午、東京の飢を賑済した。二月乙丑、薩古雅に駐蹕。戊辰、東路統軍使耶律旺玖を特哩衮とした。夏四月辛亥、高麗が使者を遣わし鴨淥江以東の地を賜ることを乞うたが許さなかった。五月丙戌、散水源に駐蹕。六月甲寅、準布の諸酋長が良馬を進めた。秋七月甲戌、諸路が奏して僧尼三十六万人に飯した。八月癸邜、有司に滞獄を決することを詔した。九月乙未、藕絲淀に駐蹕。庚子、五国の部長が来貢。冬十月癸邜、參知政事劉伸を保静軍節度使とした。十一月丁亥、士庶が錦綺の日月山龍の文様を着用することを禁じた。己丑、回鶻が使者を遣わし来貢。庚寅、南院樞密使耶律仲禧を廣徳軍節度使とした。辛邜、錦州の民張寳の四世同居により諸子を三班院祗候に任じた。十二月丁邜、北院樞密副使耶律霂を知北院樞密使事とした。