三女の出奔をめぐる諫言
- 密康公の母。姓は隗氏。周の共王が涇水のほとりに出遊した際、康公も従った。そこへ三人の女性が自ら康公のもとに身を寄せてきた。
- 母は「獣は三頭で群れ、人は三人で衆となり、女三人は粲(美しいものの意)となる。王が狩りをするときも群れは獲らず、諸侯の行いは民に模範を示すもの、王の側仕えも一族から三人は選ばない。美しいものが自然にあなたのもとへ集まったが、あなたにそれを受けるだけの徳があるのか。王でさえ受けきれないものを、まして小者のあなたが」と述べ、三女を王に献上するよう説いた。
- 康公はこれに従わず、王に献上しなかった。のちに周は密を滅ぼした。
- 君子は「密の母は物事の兆しを見抜く力があった」と評した。
史論
- 『詩経』に「安逸に流れず、常に憂いを心にとめよ」とあるが、まさにこのことである。
- 頌に曰く、密康の母は先んじて盛衰の兆しを知り、康公を諫めたのではなく、粲を受けて献上しないことを戒めた。公は民に模範を示すべき身でありながら、物が満ちれば損なわれる道理を悟らず、母の勧めを聞き入れなかったため、密はついに滅んだ、という。