南史卷七十一 列傳第六十一 孔子祛
尚書学の泰斗
- 孔子祛、会稽山陰の人。若くして孤貧、耕作や樵採の合間にも書を携え暇があれば誦読し勤苦を重ねてついに経術に通じ、特に古文尚書に明るかった。兼国子助教となり尚書を40回講じ聴衆は常に数百人に及んだ。西省学士として賀琛の梁官撰述を助け、書が成ると司文侍郎を兼ねる予定であったが就かず、累進して兼中書通事舎人・歩兵校尉となった。梁武帝が五経講疏と孔子正言を撰する際、子祛に群書を検閲させて義証を確認させ、事が終わると子祛は右衛朱异・左丞賀琛とともに士林館で日替わりで経を講じることを命じられ、のち通直正員郎を加えられ官にあって没した。子祛は尚書義20巻、集注尚書20巻、続朱异集注周易100巻、続何承天集礼論150巻を著した。