南史卷二十八 列傳第十八 褚裕之
褚裕之(後段)
- 名が武帝(裕)と同じであったため字で呼ばれた。太宰琅邪王行参軍から武帝車騎参軍・司徒左西属・中軍諮議参軍署中兵・建威将軍を歴任、鮮卑遠征に従い誠力を尽くした。盧循が査浦を攻めた際力戦の功があり、循の南走後、武帝により広州刺史を仮に授かり督建威将軍・平越中郎将を兼ね、四年在任し財貨を蓄えたことで免官・終身禁錮となったが、都に戻ると親旧に厚く贈与した。
- 太尉諮議参軍・相国右司馬に復し、武帝受命後右衛将軍。名家でありながら忠勤を尽くしたことを武帝に嘉され番禺県男に封、散騎常侍を加えられた。永初四年(423年)雍州刺史・寧蛮校尉として出鎮、清簡の政で三年間称され、景平二年(424年)卒。子恬之が嗣ぎ、弟寂之は著作佐郎で早世。寂之の子曖は宋文帝の第六女琅邪真長公主に配され太宰参軍、早世。曖の子繢は太子舎人、宋の公主に配された。繢の子は球。