経歴
- 泰、字は仲通。幼くして敏悟、数歳の頃、祖母が孫姪を集めて牀に棗栗を散らした際、他の子らは競って取ったが泰だけは取らず、理由を問われると「取らずとも自ずと賜るはずです」と答え、これに一同は驚いた。若くして学を好み手ずから抄写した書は二千余巻に及んだ。成長すると温雅で家人に喜怒の色を見せることがなかった。姉婿の斉の江夏王鋒が斉の明帝に殺されると、その外甥の蕭子友らは孤弱となったが、泰は子姪以上に世話をした。梁の天監元年、祕書丞となり、斉の永元末に官府の火災で祕書の図書が散逸したため、泰は上表して校定・繕写を求め武帝はこれに従った。中書侍郎に遷り吏部を掌り真官となった。渡江以来、吏部郎は大選を専任せず、令史以下の求職者が輻湊しても称職の者は少なかったが、泰は貴賤にかかわらず情実に流されず、天下は公平と称した。黄門侍郎に転じ、朝宴のたびに刻燭の限られた時間で詩賦を作っても文に手直しが要らず、帝は深く賞賛した。沈約は常に「王には養炬あり、謝には覧挙あり」と評した(養は泰の小字、炬もまた泰の小字、覧は謝挙の小字)。廷尉卿に任じられ再び侍中を歴任、都官尚書となった。泰は士人との交際に長け、選官に留まることを人々が望んだ。まもなく吏部尚書となったが衣冠の属望が集まる前に病を得て散騎常侍・左驍騎将軍に改められ拝命前に卒し諡は夷。子の廓。