南北史演義妒后を恨み御駕が山郷に入り、嫡を奪う謀に計臣が朝貴に賂う(0087 第八十七回 恨妒後御駕入山鄉 謀奪嫡計臣賂朝貴)
尉遅女の悲劇
- 隋の治世は十八、九年に及び国は栄えていたが、隋主は仁寿宮造営後、次第に酒色に心を奪われるようになった。独孤后の激しい嫉妬のため後宮には多数の宮女がいながら手をつけられずにいたが、后が病で臥せった隙に、隋主は仁寿宮の別苑で尉遅迥の孫娘という美しい宮女と出会い、酒宴の末に情を交わし数夜を共にした。
独孤后の激怒と山村への出奔
- 独孤后は隋主の不在を知り、仁寿宮に赴いて尉遅女を惨殺した。隋主は后の凄まじい形相に恐れをなして単騎で宮を飛び出し、山中を彷徨った。高熲・楊素が二三十里追いかけてようやく隋主を見つけ、「一婦人のために天下を軽んじてはならない」と諫めて連れ戻した。独孤后は涙ながらに謝罪し、隋主も表面上は和解したが、内心では尉遅女の死を悼み続けた。以後は独孤后も態度を和らげ、陳叔宝の妹を寵愛することを許すようになった。
高熲の失脚の伏線
- このとき隋主を連れ戻す際、高熲が「立太子の序は定まっており軽々しく変えてはならぬ」と諫めた一言が独孤后の耳に入り、后は自分を「婦人」呼ばわりされたと激しく恨むようになった。
太子勇の失寵
- 太子楊勇(幼名睍地伐)は率直な性格で政務にも参与していたが、贅沢を好み、隋主の倹約の教えに背いた。冬至の節に東宮で音楽を奏でて祝賀を受けたことも隋主の不興を買った。太子は昭訓雲氏を寵愛し多くの子をもうける一方、正妃元氏は寵を得ず急死した。独孤后はこれを雲氏の毒殺と疑い、太子への不満を募らせ、密偵を送って過失を探らせた。
晋王広の擬態と奪嫡工作
- 晋王楊広は父母の機嫌を巧みに読み、蕭妃以外の妾を表に出さず、質素な暮らしぶりを演出して両親の訪問を歓待し、仁孝の評判を得た。人相見の来和や上儀同三司の韋鼎も暗に楊広を推す発言をした。
- 揚州から入朝した楊広は、母独孤后の前で「太子が自分を陥れようとしている」と涙ながらに訴え、后の同情と憎悪を巧みに引き出した。后は「廃立を考える」と密かに約束した。
高熲の失脚
- 独孤后は隋主に太子廃立を働きかけ続けた。隋主が東宮衛士を減らそうとした際も高熲は反対したが、隋主はこれを不快とし、高熲との間に隙が生じた。独孤后は高熲の妻の死後、再婚を勧めるふりをして拒絶させ、その後高熲に側室との間に子ができたことを「隋主を欺いた」として非難、隋主の不信を強めた。
- 廃立の議でも高熲は長幼の序を説いて反対したため、隋主はますます疑いを深めた。加えて漢王諒の讒言(高麗遠征の不和)、晋王広の張麗華事件への含み、王世積事件の再調査などが重なり、高熲は謀反の嫌疑をかけられて左僕射を罷免され、庶人として自邸に留め置かれた。
宇文述の暗躍
- 晋王広は高熲失脚を好機とみて、安州総管宇文述を壽州刺史に転じさせて謀を練った。宇文述は大理少卿楊約に取り入り、珍玩を賭けと称して贈り、楊素・楊約兄弟が晋王を後押しすれば末永い富貴が得られると説いた。楊約は兄楊素に取り次ぎ、楊素も賛同、晋王広への内応を約した。
独孤后への働きかけ
- 楊素は隋主の宴席で晋王広の孝行ぶりを称賛し、独孤后もこれに同調して太子への不満と晋王への偏愛を露わにした。楊素はさらに東宮の過失を並べ立て、独孤后は密かに楊素へ賜金を送った。
評語
- 尉遅女が寵愛された途端に独孤后に殺された一件は、悍妒の後の恐ろしさを示す。隋主は「五子同母だから争いは起きぬ」と楽観していたが、地位が拮抗すれば骨肉の間にも奪い合いが生じるものであり、母の偏愛と孽子の陰謀が絡んで高熲のような忠臣まで巻き添えにした。楊素も富貴に目がくらみ宇文述の誘いに乗り、廃立の禍根はここに芽生えたと評される。